映画 メトロポリス/ METROPOLIS / 1927/ Fritz Lang/
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 ■ SF 映画の原点にして最高峰、映画 「メトロポリス」
映画 メトロポリス ポスター 映画 メトロポリス ポスター

映画 メトロポリスの当時のポスター
(クリックで拡大)
 映画 「メトロポリス」 (METROPOLIS) とは、1927年に制作されたドイツの SF 映画 (モノクロサイレント (無声ドイツ語字幕) 映画)のことです。 おそらくこの作品から着想を得たと思われる手塚治虫さんの 1949年発表のマンガ (およびアニメ作品) に同名の作品もありますが (本人は亡くなるまで公式にこの映画を見たと発言したことはない)、ここでご紹介するのはオーストリア出身のユダヤ系ドイツ人、フリッツ・ラング (Fritz Lang/ 1890年12月5日〜1976年8月2日) の監督作品の方です。

 なおこの作品は2001年に最新のデジタル技術や、原版フィルムの状態によってはアナログ的な手作業なども施され、徹底した修復が行われました (2002年に DVD として発売)。 この修復版は、ユネスコにより 「人類の記憶と歴史に永遠に残すべき作品」 として、映画作品としては最初に世界遺産に選ばれました。 アーヘン大聖堂やヴュルツブルクのレジデンツ、あるいはバッハやベートーヴェンらの偉大なクラシック音楽作品にも比肩しうる、ドイツの生み出した人類の宝と云えるでしょう。

 なお原典版である 1927版は著作権も消失し、現在は人類共通の財産、パブリックドメインとして、デジタル化された高画質データが無料で配布されています。 KINO 公式サイトは こちら (飛ぶと音が出ます)。
 ■ 100年後の未来を描いた人類史上初の本格的 SF 超大作。
 リュミエール兄弟により 1895年にシネマトグラフが発明され、世界初の SF 映画と呼ばれる小説家、ジュール・ヴェルヌ (Jules Verne/ 1828年2月8日〜1905年3月24日/ SFの父とも呼ばれる) の原作を元にしたジョルジュ・メリエス (Maries-Georges-Jean Melies/ 1861年11月8日〜1938年1月21日/ フランス) のモノクロサイレント映画、「月世界旅行」 が公開 (1902年) されてから25年。


繁栄するメトロポリス上層部(ユートピア)と
労働者が働く地下の工場施設(ディストピア)
 映画を 「現実を写し取る道具」「珍しい見世物小屋の興行の呼び物」 から、頭の中のイメージを表現する絵筆としたメリエスの編み出した独特な映像表現、撮影技術 (多重露光やストップモーション、フェードイン、フェードアウトやオーバラップ) はメリエス自身や他の映画監督らによって進歩発展していましたが、それら当時最新の撮影技法を総動員し、さらに考えられる限りの未来世界予想をイメージとして具体的に視覚化し、寓意的なシンボルを含んだ大きな叙事詩的物語として完成させたのが、フリッツ・ラングの長編映画 「メトロポリス」 (METROPOLIS) です。

 完成は1927年。 すぐさまドイツのウーファー社 (Universum Film AG) により首都ベルリンでガラ・プレミア公開され好評を博し、興行配給はアメリカのパラマウント社 (Paramount Pictures) が名乗りをあげ、世界各国で上映され好評を博しました。

 ただし最初にプレミア上映された版は3時間半 (210分) にも渡る大長編映画だったことで、ラングの手により2時間半ほどに再編集され、さらにパラマウント経営側から 「これでは映画館で上映する回数 (客の回転) が落ちてしまう」 と不評で、監督ラングの了解を得ないまま、原典版のおよそ半分ほどの長さの2時間弱ほどに再編集 (114分)、いわゆるアメリカ版としての公開となりました。 その後ウーファー社もこのアメリカ版を踏襲する形で全体をコンパクト化し、日本では2年遅れの1929年4月3日に松竹系で封切られましたが、こちらは 104分と、さらにコンパクトにまとめられた版となりました (ちなみにウーファー社はこの映画の巨額の制作費が元でその後倒産しました (^-^;)。

 なお内容のカットに関しては、「ストーリーに階級闘争を扱った共産主義的内容を多分に含んでおり、有害だ」 とする意見もあり、興行上不利な総上映時間の長さもさることながら、内容そのものに対する政治的判断もカットの要因として大きかったようです。 ちなみにメトロポリスの前に、モンタージュ手法を確立した映画としてメトロポリスと比するほどの重要な映画として、第1次ロシア革命20周年記念としてソ連で制作された 「戦艦ポチョムキン」 というセルゲイ・エイゼンシュテイン監督 (Sergei Mikhailovich Eisenstein/ Сергей Михайлович Эйзенштейн/ 1898年1月23日〜1948年2月11日/ ソビエト連邦/ ロシア) の作品があるのですが (1925年)、メリエスの時代の素朴なロケットによる月旅行 (実際は砲弾ですが (^-^;) の時代とは違い、表現の幅の飛躍的進歩や感情に訴えるメッセージ性を持った映画はもはや政治や国家権力と無関係ではいられない、難しい時代だったことは、この映画にとっては不幸なことでした。

 度重なる編集により多くの版が存在し、またそれぞれの版もそれぞれの事情で更新を受けてきたこと、制作会社の倒産、第二次世界大戦の惨禍で貴重な資料やフィルムが散逸、消失したこともあり、こんにちでは原典版は文字通り 「失われた幻の超大作」 となっています。 フィルム複製や映写技術などもまだ発展途上の時代の作品だったこともあり、世界に散逸したフィルムは状態も様々で、今となっては完全版は永遠に失われてしまったと考えて間違いないでしょう。
 ■ 暗澹たる未来予想と、その先の希望。

労働者の娘 マリア
(Maria/ ブリギッテ・ヘルム/ Brigitte Helm)


フレーダー(Freder/
グスタフ・フレーリッヒ/ Gustav Frohlich)


フレーダーセン(Johhan Fredersen/
アルフレッド・アベル/ Alfred Abel)


ロトワング(Rotwang/
ドルフ・クライン・ロッゲ/ Rudolf Klein Rogge)
 映画の原作・脚本は、1920年にラングと結婚した女流小説家の妻、テア・フォン・ハルボウ (Thea von Harbou/ 1884年12月27日〜1954年7月1日) との共同作品で、1924年に脱稿。 映画が完成する前年の 1926年にハルボウ著作の小説として出版された同名作品によります。
 ■ 登場人物とストーリー (注意: ストーリーの結末を記載しています!)。
 100年後、2027年の巨大未来都市メトロポリス。 その未来都市では巨大な摩天楼が林立し、人々はスポーツや貴族趣味のグロッタ (人工洞窟のユートピアのような施設) で遊興に耽り、優雅に暮らしていました。 しかしそれらは全体のごく一部、特権階級とその子弟だけであり、多くの労働者たちは地下の大きな機械がうごめく工場や設備で、まるで壊れたら簡単に取替えのきく単なる歯車のひとつのように扱われ、長時間の過酷な労働を強いられていました。

 ある日、この巨大未来都市の支配者であるフレーダーセン (Johhan Fredersen/ Alfred Abel) の息子、フレーダー (Freder/ Gustav Frohlich) が半裸や優美なドレスを身にまとった女性たちとグロッタで戯れていると、地下世界からエレベーターに乗ってやってきたみすぼらしい娘と、その娘がつれてきた子供たちと出会います。 みすぼらしい娘はマリア (Maria/ Brigitte Helm) といい、子供たちに 「ここにいる人たちは、私たちの兄弟なのです」 と語りかけます。 マリアと子供たちはすぐに係員によって地下に戻されますが、身なりはみすぼらしいものの、美しいマリアの姿に一目ぼれしたフレーダーは、彼女の後を追って地下世界を訪れます。

 フレーダーは仕事の失敗により父から上層世界を追われ自殺を図るヨザファト (Josaphat/ Theodor Loos) の力を借りつつ地下世界に降りて、労働者たちと一緒に 10時間勤務交代の労働に従事し、彼らがあまりに酷い境遇にあることに心を痛めます。 またマリアがそんな労働者たちにカタコンベ (Catacombs/ 地下墓地) でバベルの塔の話などを通じ 「未来を信じて」「いずれ上層にいる知恵を持つ人たち 「知」 と、私たち 「手」 との仲介を果たす人が必ず現れます」 と秘密の集会で語りかけ、勇気付けていることを知ります。 フレーダーは父、フレーダーセンにこの状態はよくない、彼らも同じ人間だと訴えますが、フレーダーセンは取り合いませんでした。

 その後、地下都市の労働者たちに不穏な動きがあるのを知ったフレーダーセンは、労働者の心を掴んでいるマリアとそっくりなロボットを使って、労働者たちを意のままに操ろうと画策します。 彼には昔、今は亡くなった恋人 (フレーダーの母) を巡って争った天才発明家ロトワングという知人がいて、彼の開発していたロボットがこの企みに使えると考えます。 このロボットは、ロトワングが恋人を復活させるべく開発していたものですが、この計画にロトワングも賛成し、マリアをさらってロボットにその姿を写し取ります。 この企みは上手くいくかに思われましたが、マリアの姿をしたロボットは労働者たちに支配者たちへの反乱を吹き込み暴動を煽りたて、労働者たちと一緒になって地下の工場施設の破壊をはじめます。

 地下都市の破壊によって貯水場から水があふれ、地下都市は水浸しになり、子供たちが大勢行方不明になってしまいました。 「マリアが愛する我が子を殺した!」 と労働者たちはいきり立ち、マリアの姿をしたロボットを捕まえ、十字架にかけて火あぶりにします。 しかし本物のマリアはロトワングの手から逃れ、子供たちを街の広場に集めて水害から救っていました。

 火あぶりになったマリアが偽者で、本物のマリアが子供たちを救ったのだと理解した労働者たちは騒乱をやめ、また地下都市の破壊により都市機能が麻痺した上層の未来都市の支配者フレーダーセンも困り果て、彼ら労働者たちとの話し合い、歩み寄りを考えます。 しかし大寺院で顔を合わせたものの、わだかまりから お互いに最後までは歩み寄れず、素直に握手のできないフレーダーセンと地下都市の工場長、グロート (The Foreman Grot/ Heinrich George)。 傍らで見守るマリアがフレーダーを促すと、フレーダーは父、フレーダーセンとグロート、両者の手を互いに引っ張り、握手させます。  「対話」 への未来を感じさせて物語りは閉じます。
 ■ 1927年という時代と、この映画の意義。
 ストーリーを眺めていると、支配者階級 (資本家階級) と労働者階級との話し合いや解決は、糸口としての握手で象徴的に語られているだけです。 サイレント映画特有のオーバーなりアクション、今となっては古典的ともいえる未来像など、21世紀の目から見ると少々物足りない印象もあるかも知れません。 それはそのはずで、今日のSF映画 (日本のSFアニメなども含め) ほとんど全てに影響を与え、原典となっている作品だけに、「どこかでみた映像だ」「どこかで見た造形だ」 という印象を現代の人間は強く持ちます。 しかしこの作品が80年近く前の作品で、「どこかで見たというのは、きっと以前見た作品がこの映画の影響を受けていたからだ」「これが最初、原点なのだ」 と思い直すと、その先進性に驚きを感じます。


マリアの姿を映している最中のロボット
 筆者がこの作品を最初に見たのは、当時憧れだったビデオデッキ、HR-D565 を買って直後、当時生まれたばかりのレンタルビデオショップ (その頃はダビングしたビデオを1日千円とかでレンタルしてた) で真っ先に借りた 1984年のジョルジオ・モロダーの再編集版でした。

 すでにスターウォーズ (金色に輝くロボット、C-3PO は、この作品に出てきたロボットに影響を受けています) は見ていましたし、ブレードランナー (この作品の世界観も影響を受けています) も見ていましたし、宇宙戦艦ヤマトも機動戦士ガンダムも見ていましたが、その目を通しても 「メトロポリス」 は少しも古臭く感じず、逆に新鮮にすら思えたものです。

 上層の未来都市はバロック調の巨大なランドマークタワーを中心に無数の摩天楼がそびえる巨大都市ですが、映像から受けるインパクトは最新の特撮 (SFX) 映画と比べても、技術はともかくインパクトでは、全く劣るようには感じませんでいた (まぁ作られた時代ってのが無意識に補正値として働いてもいるんでしょうが (^-^;)。

 なおドイツの都市、ドレスデンで前衛的な画家たちが集って作ったグループ、ブリュッケ (Die Brucke) の発足 (1905年) により、後に 「ドイツ表現主義」(German Expressionism) とも呼ばれる大きな芸術運動が旋風を巻き起こしていた時代でもあり、映画は寓意や象徴、シンボルが記号的に散りばめられ、極端な様式美をまとったシーンや、感情を視覚的にダイレクトに表現するシーンなど、ある意味 「マンガ的」 な描写も見られます。 それは字幕の現れ方などにも出ており、この作品自体がドイツ表現主義の影響を受けているのはもちろん、その考え方、表現方法を、他の芸術に大きく伝播させる効果があったのは見逃せません。 例えば父、フレーダーセンとロボットマリアとの逢引 (のように見えるシーン) でのフレーダーの受けた衝撃は文字通り画面に火花がスパークして現れ、奈落の底に落ちる表現も (サイレントとしてのオーバーなリアクションもあり)、きわめてダイレクトに感情に作用する描写となっています。
 ■ 当時流行の風俗も巧みに取り入れた娯楽作品的要素。
 マリアの姿を映したロボットをテストがてら上流階級のパーティーで初披露するシーンは、映画史上でもっとも有名なシーンのひとつでしょうか。 あられもない姿 (ほとんど裸といっていい) で淫靡な踊りに興じるマリアは、モノクロ状態で今みてもかなりエロティックなものですが、これが1927年 (日本で云えば大正が終わったばかりの昭和2年) の作品だと思うと、これもまたかなりのインパクトがあります。


官能的なマリアロボットダンスのクライマックス
 当時ヨーロッパでは、パリを中心に活躍していたジョゼフィン・ベーカー (Josephine Baker/ 1906年6月3日〜1975年4月12日) という黒人ダンサー (アメリカ出身の黒人歌手) が一世を風靡していて (NHK スペシャル 「映像の世紀」 に出てきた、バナナを腰の周りにぶら下げただけの衣装でユーモラスな寄り目をし、エロティックなダンスを踊っていた人ですね)、彼女がパリでセンセーショナルなブームを巻き起こしたのが1925年、ドイツでの初演が 1926年ですから、恐らくはこれの影響もあったのでしょうね。

 またそれまで純真な処女性を持っていたマリアと、ぎこちない不自然な動き、淫靡で攻撃性、破滅性を持つロボットマリアとの二役を演じたブリギッテ・ヘルムの演技力も素晴らしいですね (ちなみに金属質なロボットの着ぐるみに入っていたのもご本人です)。

 テーマとしての支配階級と労働階級の二極分化とその宥和は、私が初めて見た 1985年当時もちょっと古臭いイメージの世界観ですが (逆にバブル崩壊後の日本の非正規雇用やワーキングプアの存在と、既得権に守られた大企業や銀行やマスコミ、官僚らとの隔絶を見ると、むしろ 20年後の 2005年の現在の方が新鮮に感じられる)、18世紀から19世紀にかけての機械化と、それに伴う産業革命、ヘンリー・フォード (Henry Ford/ 1863年7月30日〜1947年4月7日) によるベルトコンベア式の大量生産方式、ヴァイマル共和政末期の超インフレなどと相まって、人間の労働や個々人の価値が大きく揺らいでいる1927年という時代からしたら、当然問うべきテーマだったのだと思います。

 機械化と大量生産システムにより、輝かしい未来も見える一方、貧しい最下層の労働者の待遇は目を覆うものがあり、一部の知識層が外から見た時の輝き (まがいものの輝きでしたが) をまだ失ってはいなかった社会主義、ソ連の存在もあり、当時としては当たり前の危機感や焦燥感、願望を、ラングも受けていたのかも知れません。
 ■ メトロポリス後のラング。
 ユダヤ系のラングは 1934年、ナチスの台頭 (1933年1月30日にヒトラーを首班とする内閣が発足、同年3月23日に全権委任法を国会承認させ独裁政権を獲得) によりドイツを離れフランスへ亡命しました (妻のハルボウはナチスの思想に共感、運動に積極的に参加するようになり、1932年にラングと離婚、後に事故死)。 ナチスドイツ宣伝相としてドイツ映画界を牛耳り始めたゲッベルス (Paul Joseph Goebbels/ 1897年10月29日〜1945年5月1日) から、ユダヤ人であるのを許すのと引き換えにナチスのプロパガンダ娯楽映画の制作依頼 (ウィリアム・テル /Wilhelm Tell) をされたのが、「祖国を捨てるきっかけ」 だったようです。

 すぐにアメリカに渡ってハリウッドでいくつかの重要な作品のメガホンを取り、晩年は西ドイツに帰国し、自身の作品のリメイクの制作などをしながら余生を過ごしました。 1976年8月2日、86歳で死去。 東西冷戦もあり、ややもすると共産主義的革命を正当化する内容にも読み取れる 「メトロポリス」 は 1950年代の赤狩り、マッカーシズムもあり、一時は顧みられることも少なくなっていましたが、若手映画関係者らの再評価の声が多く、サイレントからトーキーにかけての映画界と、ドイツ表現主義を代表する 20世紀の偉大な芸術家として、まさに栄光に包まれた最期でした。

 ところでハリウッド時代、ラングの名前はすでに世界的になっていましたが、プライドが極めて高く、元々多少偏屈な性格があったこと (同じくドイツから亡命した女優、マレーネ・ディートリッヒ (Marlene Dietrich) は、ラングがドイツ人の悪い特徴、いわゆる 「ドイツ的なるもの」 を全て持つ一番嫌いな監督だと公言してはばからなかった)、ハリウッドの (彼の目から見て) バカバカしい乱痴気騒ぎ、商業主義一辺倒の風潮は、ユダヤ人支援のためもあり映画会社からの多数の制作依頼があったものの、その大半が低予算、短期間撮影、大量制作の娯楽プログラムムービータイトルが中心だったこともあり、我慢ならないものだったそうです。

 混乱し、退廃し、追われるように離れたドイツですが、絶望的な世相の中でも希望を持っていきる人々の暮らすヴァイマル共和政時代のドイツが、彼にとっては才能を刺激され想像力が発揮できる、最高の映画の都だったのかも知れません。
 ■ 蛇足 ゲッベルスと映画

 プロパガンダの天才と呼ばれたナチス宣伝相のゲッペルスは 「娯楽にこそもっとも強いメッセージ伝播力がある」「最良のプロパガンダとは最良の娯楽のことである」 として、旧来の脅したり煽ったりショッキングなシーンを見せ怒りを煽るようなプロパガンダ映画を明確に否定し、一見政治的なメッセージが希薄もしくはまったくない冒険活劇とか歴史スペクタクルなんかに巨額の費用をつぎ込んで映画を製作していました。

 ラングに映画制作を依頼して断られたのは有名ですが、一方の巨匠、セルゲイ・エイゼンシュテインにも映画制作を依頼 (こちらも断られています)。 どちらもユダヤ系でしたし、当時から海外ではドイツ第三帝国の悪名は轟いていましたからさもありなんですが。 一方でナチスに協力的であった才能あふれる監督、「意志の勝利/ Triumph des Willens)」 のレニ・リーフェンシュタール (Berta Helene Leni Amalie Riefenstahl/ 1902年8月22日〜2003年9月8日) とは仲が悪かったようです (ゲッベルスがレニに関係を迫って断られたからとも)。

 ゲッベルス肝いりの映画はたくさんありますが、その中でもミュンヒハウゼン男爵が活躍する「ほら男爵の冒険」は買収した映画企業ウーファ、国策企業アグファカラーの振興策とセットで、文字通り国家プロジェクトでした。 巨額の費用をかけ豪華絢爛たる巨大で極彩色のセットがスタジオに組み立てられ、異国情緒のあふれる冒険活劇は美麗なフルカラー映画で撮影され、世界初の本格的な娯楽超大作となっています。 敗戦寸前のドイツでこの映画は繰り返し上映され、遠くにソ連軍の砲弾の音を聞きながら、観客らは現実から逃避するかのようにミュンヒハウゼン男爵の面白おかしい冒険に見入っていたそうです。

 戦争活劇 「コルベルク」 では、合戦シーンのエキストラのため前線から兵士が大量に動員され、ドイツ軍の作戦行動に影響がでるほどだったそうです。 ゲッペルスは各地で激戦を繰り広げている軍幹部に対し、「この映画の完成は、大きな軍事作戦を成功させる以上の明確な国家的意味がある」 と語っています。

 戦争末期 「コルベルク」 が完成すると彼は党幹部、および軍幹部を集めて大規模な試写会を行いました。 そのときのゲッペルスのコメントがふるっています。 いわく 「諸君、いずれ50年後か100年後か、現在の我々のこの困難な戦いが、きっとこの映画のように映画化されることだろう。 諸君らはその映画に出たくはないか? 50年、100年の時を経て、我々の姿が銀幕によみがえるのだ。 きっと素晴らしい映画になることだろう。 諸君、諸君らの出るその映画を見る後世の観客に、ブーイングを浴びせられてはいけない。 そのために、今、堂々と振舞え」。

それから程なくして、首都ベルリンにソ連軍が突入。ヒトラーは自殺し、ゲッベルスはヒトラーの後を継いで第三帝国の首相となり、その肩書きでソ連との和平交渉を行うも決裂。 「総統のいない世界に生きる価値はありません」 と述べて直後に妻や子とともに自決して果てました。

 悪魔のごとく嫌われ憎まれ、一部では神格化もされているゲッベルスですが、後世の人間の不謹慎で大声ではいえない妄想として、「もしラングが映画制作依頼を受けていたら」 ってのがありますね。 これは 「ナチスがユダヤ人弾圧をしなかったら」 と同じ種類のナンセンス極まる if であって、常識的にもありえない話ですが、ゲッベルスがあれこれ口を挟むこともあるでしょうが、国家プロジェクトとして壮大壮麗な映画のメガホンをラングが握っていたら、どれほどの超大作が生まれたのか、ちょっとだけ興味がわきますね。 あるいはそこに、それとわからないナチス批判などを織り交ぜて強烈なメッセージを後の世に伝えてくれたかも知れません。
 ■ メトロポリス データ

 □ スタッフ
監督 フリッツ・ラング/ Fritz Lang/
原作・原案 テア・フォン・ハルボウ Thea von Harbou/
脚本 フリッツ・ラング/ Fritz Lang/ テア・フォン・ハルボウ/ Thea von Harbou/
撮影 カール・フロイント/ ギュンター・リッタウ
特殊撮影 オイゲン・シュフタン
美術 オットー・フンテ/ エーリッヒ・ケッテルフート/ カール・フォルビレヒト
装置 ヴァルター・シュルツェ
 □ キャスト
労働者の娘・マリア、およびロボット/ Maria/ ブリギッテ・ヘルム/ Brigitte Helm/
支配者の息子・フレーダー/ Freder/ グスタフ・フレーリッヒ/ Gustav Frohlich/

支配者・ヨー・フレーダーセン/ John Frederson/ アルフレッド・アベル/ Alfred Abel/
科学者・ロトワング/ Rotwang/ ドルフ・クライン・ロッゲ/ Rudolf Klein Rogge/

工場長・グロート/ The Foreman Grot/ ハインリッヒ・ゲオルク/ Heinrich George/
協力者・ヨザファト/ Josaphat/ デオドール・ロース/ Theodor Loos/
本文/ うっ!
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