面と向かうとさすがにちょっと恥ずかしい 「さすはず」
「さすはず」(さす恥) とは、「さすがに恥ずかしくなってきた」 の略です。 他人の恥ずかしい言動を非難する使い方もされますが、一般的には自分自身の言動に対して使うことが多いでしょう。 その際、赤らんで火照った顔の熱を冷ますように手をうちわのようにあおって風を送るような仕草をすることもあります。
一般に感情としての恥かしみは何らかのきっかけがあるものです。 行為自体が恥ずかしいとか、行為は別に何でもないけれど、それを人に見られると恥ずかしく感じるなどです。 さすはずの場合は、はじめのうちは行為の内容にせよ人の視線にせよ、別に羞恥を感じず心も平穏です。 しかし改めて考えてみるとやっぱり恥ずかしいかも…といった感情がだんだん首をもたげてきて、ある一線を超えると急激に恥ずかしみが襲ってきます。
例えば恋人との会話で、ちょっと気分が高まって 「愛してる」 とか 「今日も可愛いね」 みたいな言葉を何気なしに相手に向けたら、言葉にしたことで少し冷静になって送れてじわじわと恥ずかしがやってくる、「さすがに恥ずかしくなってきた…」 ように感じるなどです。 恋人の他にも親しい友人とか家族に感謝を伝えるなどは気のよい人ならとっさに出てきますし、それが今日だけは何だかいつもと心持ちが違う、何を改まって口にしてしまったんだと冷静になったり相手の反応が送れたりすると、妙に意識したり照れが生じて頬を赤らめてしまうものなのでしょう。
一方で恋人との性行為などでもこうした状況はしばしばやってきます。 いつもと同じことをしているのに、何かのタイミングで急激に照れや羞恥が襲ってくることがあります。 とはいえ、さすはずを向けられた人間にとっては急に頬を染める相手の姿は愛しい以外の何物でもなく、どちらの立場に立つにせよ、こうした出来事が人生で何度かあると生きるのも楽しいし幸せというものでしょう。
なお類似の 「さすがに」 を 「さす〇〇」 といった形で表現する言葉には さすかわ (さすがにかわいそうになってきた) もあります。 相手を かわいそう だと心から同情する場合もあれば、同情したふりをして 煽る ような使い方もされます。





