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勝利宣言

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掲示板での論争・レスバトルで勝敗を決する 「勝利宣言」

 「勝利宣言」 とは、掲示板SNS といった ネット のコミュニティにおいて、参加者同士の意見が対立して レスリプライ の応酬・論争が生じた際に、一方の側が 「論戦に勝った」「勝利 した」 と宣言することをあらわす ネットスラング です。 自分の勝ちを自明の前提とした 「終了宣言」 の場合もあります。

 ただし論争で一方の側が 「負け」 を認めることはあまりないですし、そもそも論戦自体が平行線だったり不毛で勝ち負けなどない状況も多いでしょう。 また宣言自体が単なる主観的・自己申告による根拠のない無意味なものだったり、むしろ明らかに劣勢で敗北した側が苦し紛れに行う捨て台詞に過ぎない場合もあります。 従って 「勝利宣言」 自体に価値はなく、それでも勝ち負けにこだわる宣言者の幼稚な振舞いを揶揄したり、批判する文脈で使われるケースが多いでしょう。

 「勝利宣言」 という言葉自体は一般的にも使われる言葉ですが、しばしば戦争だの選挙だので対立する陣営が、おのおの自分たちが勝ったと一方的に主張しがちなものです。 相撲において行司が行う勝ち名乗りを力士が勝手に行うようなもので、単に 「潔く負けを認めない負け惜しみ」 に過ぎないことも多く、その意味では二重三重に無意味なことなのかもしれません。

論争相手が呆れて場を去るまで、ひたすら 「勝った勝った」 の連続レス

 勝利宣言の文面や内容などは人それぞれですが、おおむね 「はい論破」(相手を論破した) や 「負け乙」(負けましたね、お疲れ様 ()「クソ 雑魚 乙」(クソ雑魚お疲れ様) や 「どうやら逃げたようだな」(相手が負けを認めて敗走した)、といった意味の文字列が代表的です。

 場合によっては 「反論マダー?チンチン」(反論できるもんならやってみろと云いつつお茶碗を箸で叩いている状況) や 「くやしいのうwwwくやしいのうwww」(マンガ 「はだしのゲン」 のセリフから転用した 煽り のセリフ)「m9(^Д^)プギャーーーッ」「顔真っ赤だな」 と揶揄して罵るような勝利宣言もあるでしょう。 ちょっとひねって 「敗北を知りたい」(マンガ 「刃牙シリーズ」 の第2部 「バキ」 の 「最凶死刑囚編」 に登場する最凶死刑囚のセリフ) や、関連する名セリフが使われることもあります。

 一方、どこからどう見ても自らが劣勢であったことに気づきながらも負けを認められず、直接反論や反駁をせず (できず)、「周回遅れの議論 だ」「お前と議論しても時間の無駄だ」 などと 詭弁 を使って切って捨てる形を取る勝利宣言も多いでしょう。 また相手にだけ過大で面倒な負担をかけるとか (例えばいちいち意見の根拠をそもそも論で問うとか執拗にソース (情報源や出典元) を要求するなど (シーライオニング)、あるいは論点をすり替えるなどして相手を疲弊させ、その結果相手が呆れて無視すると 「何も言えなくなったようだな」 などと謎の マウント を取ってその場を去ったりもします。 とりわけ見苦しいものでは、相手からの反論を受けなくて済むよう、掲示板の 書き込み 制限数ギリギリで 「どうやら勝ったようだな」 などと論拠不明の勝利宣言を最後っ屁として行う場合もあります。

 いったん勝利を宣言した後は基本的に議論や論争はそれで終了であり、宣言した側は一方的に議論を打ち切って後は一切の書き込みをしない (もう見ていませんとのアピール) か、逆に反論全てを負け犬の遠吠え扱いして一切耳を貸さず、相手が呆れて消えるまでひたすらバーカバーカ的な挑発を繰り返すだけになる場合もあります。

匿名掲示板の登場で、議論や勝ち負けがカジュアルに?

 論争や バトル (レスバ)、それに伴う勝利宣言は パソコン通信 の時代からあります。 しかし煽りや挑発の度合いを強め、ある意味で高度に洗練もしたのは、インターネット の時代となり、匿名性 (名無し) を前面に打ち出した 「あめぞう」 や 「2ちゃんねる」 をはじめとする 殺伐系 (参加者同士の交流を 馴れ合い だとして嫌うこと) の掲示板が人気となってからでしょう。

 パソ通時代は実名による利用や コテハン (固定ハンドル)(自分で定めた同じ ハンドル (ニックネームのようなもの) を使うことが多く、論争するにしても最後の最後までもつれることは、さほど頻繁な出来事ではありませんでした (場所によりますが)。 何しろ実名と紐づいていたりもするので恥ずかしい負け方をしたら取り返しがつきませんし、しばしば オフ会 が盛んだったりでリアルなつながりもあったので、遺恨が後々まで残りがちです。 運営 や自治もある程度しっかりされてもいたので、仲裁する人が現れたり、勝利宣言が出る前に何となく収めようとする 雰囲気 がありました。 逆に云うと本当にもつれると最終決戦 (リアルファイトや裁判) まで行きがちで、救いのない結末が待っていたりもしましたが。

 一方で匿名掲示板であれば、論争に勝っても負けても後に引きずらずに済みますから、かなり気軽に論争やバトルが始まり、かなり気軽に勝ち負けが主張される傾向はあるでしょう。 いわば議論や勝ち負けのカジュアル化です。 またパソ通に比べると利用者層も幅広く、しばしば年齢層が比較的低くなりがちなのも、気軽にもめて気軽に勝ち負け判定をしがちな原因かも知れません。

 ただしハンドルのない名無しであっても、特定の板や スレッド常駐 しているような人は、書く文章の傾向から何となく 「またこいつか…」 と 特定 されがちです。 またコテハンを名乗っていたり、他のサービスやリアル社会との接点があるようなケースだと、いったん論争が起こると引くに引けなくなり、虚勢を張るための勝利宣言も出がちでしょう。 これは ツイッター などの SNS における論争でも傾向は同じで、時代を経るにつれてより強化されがちな方向にあります。

議論が 「できる人」 と 「できない人」 と勝利宣言

 世の中には議論ができる人とできない人がいます。 単に頭が良い悪いで議論への向き合い方が変わることもありますが、おおむね議論ができる人は、「自分の意見や立場に客観的で絶対的な自信を持っている」 か 「自分の知性 (論理力とか理解力とか) に裏付けのある自信を持っている」 のどちらか、あるいは両方の性質を持っています。 議論できない人はその逆です。

 議論ができる人は自分の意見や知性に自信がありますし、それは裏返って論争相手や周囲で見守る人たちへの自分基準による信頼感 (自分は理解できるんだから、相手や周囲も同じはずだとの漠然とした信頼) も醸成するものです。 いちいち勝利宣言などしなくても、「見りゃどっちが勝ちかわかるだろ」 てなものです。 一方で議論できない人は、自分の意見も思い込みが激しいだけで確固たる自信がありませんし、何となく知性に対する劣等感もあり、議論すると負けそうだと云うのが分かっている人でしょう。 議論すれば負けるから、あるいは自信のなさを見透かされそうだから、それを恐れて大声で勝利宣言をして議論を一方的に打ち切る。 非常にわかりやすい態度です。

 弱い犬ほどよく吠えるとはよく云ったもので、押され気味の状態で放つ勝利宣言ほど見苦しいものはありませんが、その人よりさらに幼稚な人たちしかいないような場もありますし、そこでは根拠皆無の勝利宣言でも勝利者を装うことが可能かも知れません。 自信がないのに強がるような人はそうした場を見つけるのが上手かったりもするので、周囲のバカを従えてお山の大将状態のコテハンなどもいます。

 ちなみにそう滅多にあることではありませんが、議論ができる人が勝利宣言をすることもあります。 負けが明々白々なのにあれこれ詭弁を弄して認めない人に対するとどめみたいなもので、煽りだとしても救いがないものになりがちです。 圧倒的な実力差がある中で強者が弱者をいたぶる弱いものいじめにも見えることから、議論の出来る人、知性のある人はわざわざそんなことはしないものですが、相手の詭弁や個人攻撃・人格攻撃 が度を超すと、さすがに笑って済ますことができなくなることもあります。

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(同人用語の基礎知識/ うっ!/ 2005年2月10日)
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