みんなが望んでいるはずなのに、時としてなぜか失われる 「平和」
「平和」 とは、国や地域の規模では戦争や争いがなく、調和のとれた安穏な状態を指します。 個人の レベル では周囲に争いごとや暴力、いじめ といった トラブル や犯罪がないだけでなく不安や心配事もなく、心穏やかで安心できる状態を指します。
また単に争いがないだけでなく、国から個人のレベルに至るまで安全・安定していて、それぞれの 正義 や尊厳、相互理解が保たれているといった意味で使われることもあります。 恐怖や不安に怯えることなく、誰もが安心して生活できる心理的な平穏状態ですね。 さらにはしばしば争いごとの原因ともなる貧困や差別がないか是正されていて、教育や医療へのアクセスも確保されているような豊かで持続性のある望ましい状態を指すこともあります。
対義語は一般に戦争や紛争などですが、無秩序や 混沌 (カオス)、孤立や不公平、殺伐、地獄 なども対の言葉や 概念 として用いられることがあります。 また 治安 が悪いとか 不穏・物騒なども用いられることがあります。
日本はもちろん、国際社会においても 人権 や自由、平等、環境 などと並ぶ 尊い もの、守るべきもの、目指すべき状態であり、平和を望む人は多いでしょう。 しかし 「どうやって平和を実現するか」 や、あるいは何が平和な状態かが国や人、あるいは文化などによっても異なるため、それが原因で争いごとが起こることもあります。 「平和のためなら戦争も辞さない」 という矛盾した状態もありうるのが、この問題を難しくしています。
また尊く誰も否定できない絶対的な価値でもあるため、誰もが好んで自らを平和を望む側だと主張しがちです。 平和を旗印にあからさまな 侵略 を行う国もありますし、平和を騙ることで自らを正義の側に置き、他人を批判・罵倒するための道具として用いることもあります。 本人が平和を望むと語ったり平和団体だと名乗ったところで、実体は正反対などよくあることです。 またそうした国や人は、自分と異なる国や主義主張を持つ個人を戦争国家とか戦争を望む連中だとのレッテル貼りを行うでしょう。
相反するそれぞれが平和や正義を語る中、見抜くのは容易ではありません。






