同人用語の基礎知識

承認欲求

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あたしを見て! 無視しないで! 「承認欲求」

 「承認欲求」 とは、自分のことを周囲に認めてもらいたい、褒められたい、評価されたいと望む気持ち、欲望のことです。 もちろん他者や社会から好意的な評価が欲しい、尊敬を集めたいなどは誰でもいくらかは持っているものでしょうが、実際は他者の目を意識しつつも、自分自身が価値ある存在だという証人・裏付けになって欲しい、それによって心を満たしたり自信を持ちたい、逆に云えば自分の価値を自分で認められず自信もないとの裏返しの欲求だとも云えます。

 似たものに 自己顕示欲 があります。 こちらは目立ちたいとか自分の能力や存在を周囲にアピールしたいという欲求ですが、承認欲求とは切っても切れない似たもの同士だと云えます。 人からの評価ばかりを気にして自分の価値を自分で認められないので、時として被害妄想を生じやすいのも特徴でしょう。 誰だっていつもいつもわかりやすく、他人を評価などしてくれないからです。 また人によっては自己評価があまりに高く (逆に自分以外は 無能 だと思ってる)、周囲がどれだけ褒めてくれてもまだ足りない、むしろ不当に軽んじられているなどと思い込む面倒な人もいます。

 かつてこれらはまとめて 「目立とう精神」 や 「構ってちゃん」 あるいは 「ナルシスト」 などと呼ばれていました。 これらの表現は今でも使われることがありますが、時代を経るごとに精神医学用語をそのまま使った俗語的表現の方が、人の性格を表現する言葉としては増えている印象です。

 なお承認欲求が肥大化し、場合によっては認められたいという思いが爆発して奇行に走る、目立つためなら何でもするような状況は、とくに ネットスラング承認欲求モンスター や承認欲求乞食、承認欲求オバケと呼びます。

無視されるくらいなら嫌われた方がマシ?

 他者から承認されるにしても目立って無理やり存在を 認知 してもらうにしても、できれば相手が自分のことを優れていると好意的な形で承認・認知してもらいたいと考えるのが 普通 でしょう。 これらは 「上位承認」 と呼び、自分が相手より上の立場として認められたい欲求となります。 その他 「対等承認」「下位承認」 などといった区別もあり、対等な立場でとか、場合によっては相手から下に見られ蔑まれ嫌われてでも認められたいといった様々なパターンがあります。

 人間にとってしばしばもっとも怖いのは、他者や社会から 「無視 (スルー)」 されてしまうことです。 人は社会性のある生き物ですし、学校や職場、地域といった社会の中の一員として生きている人がほとんどです。 自分自身を考える時、無意識に他者との比較や関係性を一つの基準に据えてしまうものです。 別の言い方をすれば、他者から認識されなければ社会の一員とは見なされていないと疎外感を覚えてしまいますし、ひいては自分がいてもいなくても良いちっぽけで無価値な存在だとも感じられてしまいます。 自己承認が低ければ、他者への承認も妬みや嫉みといった負の形になりがちで、人間関係の中で様々な摩擦を生じさせてしまうでしょう。

 こうした感情は、物心もつかない赤ん坊が泣いて親の注意を惹くなどの生存のための自己アピールとか幼児の試し行動、思春期の頃に問題行動を起こして周囲の関心を引くなどと根っこは同じです。 ある程度の大人になってからもそれが行き過ぎると 「幼稚だ」 と批判されたり様々な トラブル を生じます。 しかし一方で、個人としての生きがいや向上心、成長、社会にとって有益な物品や思想を生み出す原動力でもあり、ようは考え方や使い方次第といったものなのでしょう。

承認欲求、満たされるか歪むかは 「運」 次第

 承認欲求自体は誰でも持っているものですが、人によって強弱はあります。 また周囲の 環境 に恵まれて子供の頃から十分に満たされることもあれば、家族や学校、ご近所さんからも無視されたり軽視されたりして、本人の精神力ではどうにもできないほど肥大化したり歪むこともあります。 これらはかなりの部分で運次第であり、個人、とくに子供の頃に本人ができることは限られています。 そもそも満足感とか安心感、幸福感などを得られやすいかどうかは個人差が大きい上に、その得やすさといった資質 (脳の報酬系の性質) の半分は遺伝によるものともされているので、ますます本人にはどうにもできません。

 さすがに大人になってもあからさまな承認欲求をむき出しにする人は接していても疲れますが、子供や10代の人間がコントロールできずに拗らせて時にはめを外してしまうのは止むを得ない部分もあり、悪質な犯罪行為ならともかく、ちょっとした迷惑行為や口を滑らせただけのような過剰表現、炎上 くらいなら、あまり責めないようにしたいなとは思います。 若者の奇行をしたり顔で罵倒する大人だって、その人が若い頃にネットや SNS があったら、何かしらやらかしていたかも知れません。 ネットのない時代にはそれを部外者が知ることも少ないし、知られてもすぐに風化するので大事にもならなかっただけかもしれません。

 自身に置き換えて考えるなら、人間誰でも認められたり褒められると嬉しいので、周囲の人間の良いところを探して認めたり褒めるような人間でありたいなとは思います。 自分が満たされてないと、ついつい僻み 根性 や劣等感の裏返しで攻撃的になったり マウント を取りに行ったりもしがちですが、あたしの貧しい人生を振り返ってみても、それで自分の人生がほんのわずかでも良い方向へと進んだことはただの一度もありませんでした。 認めたり褒めるようになったら、自然とそういう人たちが集って、自分自身も満たされるようになりました。

 あたしは頭が悪いので自分からそれに気づいて励行したわけではなく、周囲の佳き友人の姿を見て真似をしただけなのですが、即効性はないけれど、何年か経つと荒んだ昔が信じられなくなるほど生活環境が良くなります (逆に突発的に向けられるむき出しの敵意や悪意に対する耐性はめちゃくちゃ落ちますが)。 これはもちろん、負のオーラを漂わせている人を少しずつ遠ざけるのとセットの話ではあるので、そうした人がいても遠ざけられない環境 (例えば学校とか職場とか、家族、ご近所さん、親戚とか…) にあると、それも難しかったりもしますが。

「いいね」 が欲しい! SNS 時代の承認欲求

 これは自分では実践できていませんが、ツイッター といった SNS でどうしてもいいねが欲しいなら、他人の投稿にも積極的にいいねをつけるのが早道でしょう。 誰だっていいねをつけてくれたら嬉しいですし、つけてくれた相手には自分もつけてあげようと思うものでしょう (ただし短時間に一気につけると、それはそれで無差別なものに感じられたり通知がたくさん来て迷惑がられることもあります)。 仮に自分の フォロワー が少なくても、たくさんのフォロワーを持つフォロワーがその中に何人かでもいれば、その人のいいねや RT が情報の散布地となって注目を集めたり バズ りやすくもなるでしょう。

 これが行き過ぎると 馴れ合い とか 互助会 のようになり、いいね付けに義務感が生じたり、こちらがつけているのに返さない相手にいら立ちまで感じて面倒くさくなりますが (これが苦手なのであたしはフォロー返しとかいいねつけはほとんどしてないです…すいません)、自分が認められるためには他人も認めてあげると云うのは、人間関係の基本ではないでしょうか。

 ただしやり過ぎて、まるでスパムのようないいね付けになったり、あるいは何度かのプチバズ (ちょっとだけバズる) に舞い上がったり満足できなくなって、前述した承認欲求モンスターに陥ることのないようには注意しましょう。 人から注目を集めるというのは、もちろんその人の性格や資質、日々の生活の充実度にもよりますけれど、一部の人にとっては思った以上に快感で、かつ容易に麻痺し依存もしやすい感覚ですので。 炎上して身ぐるみはがされてからでは遅いです。

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(同人用語の基礎知識/ うっ!/ 2012年12月1日)
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