ぐるぐる周って話が先に進まないで目が回る 「循環論法」
「循環論法」(circular reasoning) とは、議論においてその前提となる定義や結論の論拠が同じものであること、前提や仮定の中に結論が入っていたり、結論の中に前提や仮定が入っているような状態、論証されるべきことを論証の根拠にするような状態を指す言葉です。 論をいくら進めても、ぐるぐると同じ場所を周ってしまって何ら前提や結論の根拠や説明がなされないでいることからこう呼ばれます。
典型的なのは 「AはBだ、だってBはAだから」「○○さんは正しい、だって●●さんも正しいと言っているし、○○さんも●●さんは正しいと言っている」 などですが、実際はもう少し段階を踏んで、複雑になっていることが多いでしょう。 場合によってはかなり長大な議論で、あれこれと様々なことを語ってはいるけれど、よくよく煎じ詰めて要点をまとめると結局は循環論法だった、みたいなこともあります。
ある命題を証明するとして、その命題そのものを前提や仮定にして証明しようとしてもどうしようもありません。 前提や仮定に前提や仮定で答えても証明することにはなりませんし、命題に対するちゃんとした説明が必要です。
循環論法は 詭弁 の一種であるとも云えますが、議論を自分に有利な結論に導こうという悪意に基づく意図的なものではない場合も多く、本人が無意識に行う場合などは第三者がそれを指摘しても本人がその間違いに気づかず、いつまでも議論が先に進まないと云った状態になりがちです。 ただし途中で気づいて詭弁まみれの反論や論点ずらしをするに至ると云った状況は多いでしょう。
学術的な論文であれば、専門家の査読までいかなくともある程度論理的な思考や読解ができる人であれば、循環論法は容易に看破できるものです。 しかし直接相手と行う議論や討論といった場では、それぞれの性格や社会的立場、力関係などにより指摘しづらい状況に陥り、無駄な時間を過ごすことにもなりがちでしょう。 また循環の輪があまりに大きいと、注意深く聴いていないとごまかされてしまうこともあります。
ちなみに似たものにトートロジー (恒真式) がありますが、こちらは同語反復とも呼ばれるように同じことを繰り返しているだけで、循環論法とは異なります。 例えば 「AはAだ」 みたいなものになります。
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