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架空世界における設定バランス

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作るのは作者として楽しいけれど…架空の世界観設定のバランス問題

 「架空世界における設定バランス」 とは、創作物における異世界や ファンタジー世界、SF世界の世界観に対する 設定 とその作中説明を、現実感・リアリティを担保しながらどのくらいのバランスで行うのが適切か、という課題に対する様々な考え方のことです。 より端的に云えば、「どのくらい正確 (あるいは厳密) であるか」 と 「どのくらい作中で説明するか」 の、大きく2つのバランスがあります。

 歴史上実在した過去の時代の表現の正確さ・妥当性を検証する 「歴史考証」「時代考証」 や、SF作品における 「SF考証」 などになぞらえ、「架空世界考証」 とか 「異世界考証」 と呼ぶ場合もあります。 一般的な言葉では 「リアリティライン」 もそれにあたります。 創作物はあくまで創作物なので、どううまく嘘をついて 読者 や視聴者が気持ちよく騙されてやろうと思わせられるかの綱引きだとも云えます。

「一年後」 って何日後? てか1日って何時間? 何もかもが違うはずの異世界

 例えば1日がほぼ24時間で1週間が7日間で1ヵ月がおよそ30日間で1年がだいたい365日間というのは、ここ数千万年間の地球限定で、かつ1週間とか1ヵ月といった区切りを行う宗教を含めた文化や歴史が存在する文明社会においてのみ有効な 「設定」 です。 地球以外の惑星や異世界、異次元が舞台ならば、1日が24時間、1年が365日間ではないかも知れませんし、また七曜や太陽暦、ユダヤ教やキリスト教といった各種宗教、天体としての月がなければ、1週間や1ヵ月といった単位や概念も存在しないか、あっても内容が著しく異なるでしょう。

 作品の受け取り手である読者や視聴者は、自分がいま生きている現実世界の時間軸を極めて強固に持っています。 作品を読むときも、それを物差しとして直感的に受け取ったり物事を考えます。 例えば作中で 「1年後」 というセリフが出たとして、もし1年が100日間の世界の物語だったとしたら、設定を作った 作者 の意図と 読者 の受け取り方にはおのずと大きな差が生じるでしょう。

 もちろんその都度、「1年後(地球の100日間に相当)」 といった注釈や説明を加えたり、登場人物の 説明セリフ によって伝えたり、世界観設定の説明用資料 (設定集) を別に用意して提供したり、それらによって読者や視聴者を よく訓練する こともできます。 しかし時間に関する話が出るたびにこれをやるのは面倒ですし、なにより物語に入り込む読者の気持ちをその都度 阻害・スポイル することにもなるでしょう。

 またこれは時間の単位だけではなく、言語や文化、価値観、マナーや常識、物理現象や自然現象、論理法則、道具などの名前、長さ・重さ・広さの単位とか、さらには作中に登場する キャラクター の身体的特徴や能力、寿命、ちょっとした言い回しにすらも、それぞれ 「その世界に住む人々が作ってきた歴史」 を源とする言葉や考え方があり、他の世界では基準や名称はもとより、もしかしたら概念ごと全く異なるものになっている可能性もあるはずです。

 物理法則は、それをどう呼ぶかはともかく個別の事象や骨格部分はおおむねあらゆる世界・万物に共通する一貫性があるのかなとも思いますが、それらからはるかに逸脱・超越した 「魔法」「超能力」 が存在する架空の世界が私たちの世界と同じ物理法則で動いているはずもなく、「燃える」「凍る」 の概念だって異なるかもしれません。 要するに 「何もかもが全く違って当然なはず」 なのです。 同じ地球上に住む現代の同じ人類であっても、国や地域、民族によって異なる部分がたくさんあるわけで、まして異世界において同じであるはずがないのですね。

 こうした異なる世界観のディティールを、体系的で説得力のある形で構築し作中で説明するためには、ものすごいエネルギーが必要でしょう。 そうした設定を考えたり説明する作業は作者にとっては面白いものでもあるのですが、作品の本筋と直接関係のない部分の説明ばかりするのも大変ですし、読者や視聴者にとっても物語と関連性が薄く必要性が低い設定なら、作者の自己満足だと感じられ煩わしく思ってしまうでしょう。

 SFや架空戦記のようなifもの、シミュレーションものなどのように、そうした設定が物語に密接に関係していたり設定そのものを楽しむ作品ならともかく、どこまで世界観を構築しどこまでそれを説明するのが適切なのかは、架空世界の創作を行う時には誰もが直面する難しいテーマなのかもしれません。

独自の世界体系や言語まで構築したり、あくまで 「翻訳」「吹き替え」 の形をとったり

 作品によっては、確固たる巨大な世界観を体系づけて構築し、それにふさわしい独自言語をも作者が創作し (芸術言語)、作品そのものをその言語で書き表したものもあります。 もちろんそれでは作者以外の人は読むことができませんから、膨大な注釈や対訳、あるいはヒントなどがついていたり散りばめられたりしています。 作品によっては、読者が物語を読むことそれ自体に、設定の謎解きを楽しんだり、古文書や歴史書を読解するような知的な快感が得られるよう工夫を凝らしたような作品もあります。

 もっともそれでは読者が読むのが大変ですし、メジャーな作品として広く支持されることも難しいでしょう。 なので、明示的・黙示的問わず、あくまで読者のために読者が使っている言語に 「翻訳しました」 という体裁で書いている作品もあります。 動画作品や音声がある作品なら 「吹き替えです」 といった建前です (場合によってはあえて字幕をつけたり同時通訳風に表現したり)。 その場合、時間の単位や文化的な言い回しなども、「意訳しました」 という形で読者や視聴者に合わせた形 (日本人向けなら現代の日本の言葉や単位とある程度共通性がある形) で提示できたりもしますし、それなら違和感も少なく設定や状況の説明も必要最低限で済み、物語の本筋に入りやすくもあるでしょう。

 とはいえ、例えば月がない世界が舞台という設定で、月にまつわる自然現象や言い回しが登場するのはあまりに不自然です。 読者にとっても、月がない世界という自分たちが住む世界とは異なる世界への興味や関心、それを作者がどう提示してくれるかの期待だってあるわけで、これを無視した話づくりをしても 「じゃあなんで月を消したんだ」 と興ざめでしょう。 また作中に登場する貨幣単位が見覚えのあるものだったり、実在する人名や地名、故事に由来する名称や言い回し、物品が登場するのもおかしいでしょう。 そこまで同じであるなら、例え 「翻訳しました」「意訳しました」 と取り繕ってみても、そもそも 「異世界である必要がない」 ということにもなってしまいます。

 今とは常識や価値観、言葉などが違っていた時代劇や歴史ものの表現などでもそうですが、どこまで作中の世界観を物語に反映させ、感情移入を妨げない範囲で異世界感を出すことができるか、荒唐無稽な設定にどう嘘をついてもっともらしく正当化できるか、異世界物が大流行の昨今、作者の力量と工夫が求められる、ある意味創作物の醍醐味とも云える部分でしょう。

この設定はおかしいのでは? 「設定厨」 の突っ込みも

 異世界や架空世界の設定で、辻褄が合わない設定となっている場合があります。 前述した 「月がない世界なのに月があるような自然現象や言葉がある」 などです。 この場合、作中で 「月はないけれど、月があるかのような自然現象や言葉がある理由」 がきちんと説明されていれば、それはそれで一つの世界観でしょう。 しかしそれがないと、設定の不備だとして 「おかしい」 と指摘されてしまうことになります。

 こうした設定の不備を口うるさく指摘する人を、俗に 「設定厨」(中坊の 誤変換 である 厨房 を接尾した面倒なやつといった意味で、自分の設定にこだわりすぎる作者をも指して使います) とか 「〇〇警察」(あり得ないものがあることを指摘する人 (例えば中世ヨーロッパにジャガイモがあるのを批判する人は 「ジャガイモ警察」) と呼びます。 彼らを納得させ黙らせるために大量の設定や説明に明け暮れてしまっては、そもそも何のために書かれた話なのか意味不明になってしまいます。

 創作物における 「必然性」 は、あった方が受け入れやすく望ましいものだとは思いますが、「必然性がない」 ような描写を不必要だとしたら、そもそも創作物の意味がありません。 作品テーマが何であれ、そのテーマを文字にしたらそれで終わりになってしまうからです。 また設定の合理性や一貫性も、あった方がないよりは混乱が防げていいかも程度で、シミュレーションものなど一部のジャンルを除けば、別に作品評価の一番大事な部分ではないでしょう。 まあ作品中で前後に矛盾がたくさんあったり、物語の核心部分にそれがあると、「あれ?」 みたいな感情や疑問が沸いて集中できなくなるのはその通りなのですが。

作者も読者も納得ずくで自由な発想を受け入れる 「異世界系」

 世界観や設定だけでなく登場人物の容姿なども異世界では大きく異なっているはずですが、少なくともメインとなるキャラクターは人間と同じような姿かたちをしている方が何かと都合がよいのか、このあたりは スルー している作品が多くなっています。 また姿かたちが似ているなら、歴史や文化も似たようなものになっているはずだとの考え方で全体を押し通しているような作品もあります。

 ある意味世界観構築の放棄とも云えますが、これは読者や視聴者にとっても便利で都合が良いので、リアリティ重視の本格的なファンタジーやSFでなければ、とくに問題とされるケースは少ないようです。 もちろん作者が設定にこだわって 人外 が主要な登場人物のケースもありますが、メジャーな世界で成功するのは難しいかもしれません。

 結果、場合によっては、「舞台は魔法や モンスター が存在する中世ヨーロッパ風、独自言語や通貨もあるけど基本的な物理法則や文化や価値観は現代日本と同じで、登場キャラはおおむね人間っぽい容姿」 というあり得ないハイパースペースであるのを作品冒頭で宣言するような場合もあります。 このあたりは、SF におけるタイムマシンやタイムスリップの表現などでも見られる 「都合の良い時空」(地球や宇宙全体は時と共に移動しているのに、時間を旅してもなぜか地球上の位置が維持される) と云えます。

 いわゆる 「異世界系」 や 「異世界転生もの」 と呼ばれる ジャンル などは、こうした考え方で細かい設定の整合性に気をつかわず自由に作品を創れるプラットフォームとして機能している部分もあります。 設定のご都合主義や矛盾などは些細な話であり、ツッコミ として楽しむならともかく批判的な文脈でことさら取り上げるのは、むしろ野暮という考え方です。

 前述した 「時代考証」「歴史考証」 や 「SF考証」 などもそうですが、設定の正確さや一貫性を可能な限り追求しながらも無理なものは無理と切り捨て、多くの読者や視聴者が設定に振り回されずちゃんとついてこれるバランスあるアレンジや説得力のある説明が大切なのでしょう。 フィクションだから全部デタラメではあまりにご都合主義的ですし、ガチガチに設定を固めて一方的に押し付けすぎても読者や視聴者は置いてきぼりです。

 作品の本筋の面白さと同様、こうした部分にも配慮してバランスをとった丁寧な描写をすることが、奥行きがありより優れた作品になる大きな要素なのでしょうが、そこにこだわりすぎるのも作品の傾向と想定する読者の存在によっては無駄・徒労なのかも知れません。

創作に行き詰って、設定をいじくり回して 「何かやってる感」 を出したり

 なお 「好きで設定に凝っているわけではない」 という作者もいます。 面白い物語やセリフが思い浮かばず筆が一向に進まない時、「あれこれ設定をいじくる」「本などを読んで知識を得て作品に反映させてリアリティを高める」 ことによって、「何かやってる感」 を自分自身に持たせて自己満足するなどは、創作活動をした人なら誰でも多かれ少なかれ身に覚えがあったりもするでしょう。

 設定やディテールは、時間と手間をかければある程度は確実に精度や品質を高められる作業なので、それが仮に 「面白さ」 になんら寄与しない作業なのだとしても、創作に行き詰った時に少しでも筆を進めて作品を高めたつもりになるために、それにすがりつきたくなる気分はわかります。 アマチュア作品で設定に凝りすぎて訳が分からなくなってる作品などは、たぶんこうしたことが積み重なった結果なんだろうな…なんか読書感想文で読んだ本の粗筋を延々と読まされてる気分になるな…みたいな、ちょっと切なくなることもままあったりします。

考証をあえて甘くする場合も… 「設定バランス」 とは異なるバランスも

 一方、極めて専門的な分野を扱う作品の設定において、専門外の人にもわかりやすく伝えるための 「設定や考証のデチューン」(簡潔で明瞭な設定とするため、あえて正しさや整合性を落とす処理) や 「ローカライズ」(専門外の人にも理解できるものに置き換える) を積極的に行う、大胆に説明を省くといったケースもあります。 この場合は架空世界はもちろん、現実世界を扱った作品でも行われます。

 例えばワープ航法 (超光速航法) が実現したような遥かな未来が舞台の SF 作品において、その頃の人々の通信手段やコミュニケーションの取り方がどうなっているのかはほぼ予測不可能であり、そもそも概念それ自体が異なっている可能性もあります。 この場合、仮にワープ航法と同じ技術的水準の通信手段やコミュニケーション手段を作者が考案したとしても、それをそのまま描いてしまっては、読者が理解できない可能性があります。 また既存の通信手段やコミュニケーション方法、その延長線にある物語の文法はことごとく無効化されますから、作中人物が何を感じているのかわからず、感情移入も妨げられてしまうでしょう。 例えば登場人物が恋人からの手紙や電話が来ないことを寂しく思い、それを見た視聴者や読者が共感できるのは、あくまで手紙や電話がある世界においてのみ通じる話です。

 そこで、物語の展開上とくに必要性がないのであれば、通信手段やコミュニケーションの部分はあえてテレビ電話とか立体ホログラム通信など、現代の常識や技術の延長線上にある 「一般人が理解可能な未来の範囲」 にとどめ、分かりやすく工夫する必要があるでしょう。 「遠い未来の話なのに電話や無線で会話している」 などと電話や無線機が登場する SF を批判する人もいますが、一部のコアな SF ファン相手ならともかく、一般層もターゲットとした 商業 作品を作る場合、こうした 「わかりやすさ」 は無視できないこともあったりします。 もちろん単に作者が無頓着だったり、明らかに雑な設定で作っている場合もありますけれど。

 ここでは SF における通信手段やコミュニケーションを例として挙げましたが、あえて一般人にも理解できる レベル にとどめるというのは、現代ものや歴史ものにおける技術的・文化的表現を含め、あらゆる創作物でよくみられるものです。 とくに政治や軍事、金融や法律、医療、異なる文化圏といった高い専門性が求められる作品テーマでは、ギリギリ嘘八百にならない範囲で設定のデチューンやローカライズ、意図的な意訳が必要なケースも多いでしょう。 また今日では SF を知らない人でも過去作品などの影響からワープ航法とかタイムスリップみたいな概念を何となく理解できているように、新しい 「SF的」 な通信手段やコミュニケーションの概念が一般にも広がるようになれば、それを自明のものとして作品で扱えるようにもなるかも知れません。

 もちろんそのバランスが悪ければ、設定が甘い、間違っている、作者に教養がない、一般人の低レベルな知識で無理やりまとめているなどと批判されます。 とくに金融や法律、医療は実害が生じかねませんから、批判の声も大きくなりがちでしょう。 そもそもほとんどの専門性を持つ創作物は、その世界を専門としている人が見れば 「間違っている」 と感じられる部分が多々あるものです。

 明らかな事実誤認や作者の無知は見ていて辛いものですが、しかし一般層にも広く訴求しなければビジネスとして成立しない作品の場合、ある程度は批判は覚悟のうえで割り切って単純化しないと難しいかも知れません。 いっそ最後の最後には開き直って 「だってそれが ロマン だから」 と言い張ることだってできます。

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(同人用語の基礎知識/ うっ!/ 2004年9月12日)
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