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S-VHS 標準録画こそが王道! …なんて時代がありました

 俗に おたく三種の神器 といえば 「ビデオデッキ」「パソコン」「ゲーム機 (or 「一眼レフカメラ」)」 ですが、その中でももっとも重要なのは、アニメ や特撮番組を録画 (エアチェック) するための 「ビデオデッキ」 だったと思います。

 今や HDD レコーダーなどが 「新 おたく三種の神器」 の筆頭扱いにもなって、アナログなビデオテープを使う古めかしいビデオデッキはその影が薄くなりつつありますが、1980年代から1990年代にかけてはまだビデオしか存在しませんでした。 しかも高画質 (S-VHS とか、ED-beta とか) だったり、コマ送りやら FE ヘッド搭載やら予約録画の多予約数やらの高機能・高性能機ともなると、本体ハード・記録媒体であるテープも価格が高く、どれだけコストをかけて高画質、大量のアニメや特撮動画を保存しているのかが、ある意味 「おたくの格付け」 を決めるひとつの指標でもありました。

 なおビデオデッキが一般家庭に入って来たのは 1975年5月10日、SONY よりベータマックス規格初のビデオデッキ 「SL-6300」(229,800円) や、翌 1976年10月、ビクターより世界初の VHS ビデオデッキ 「HR-3300」(256,000円) が発売されてからです。 ちなみに厚労省のデータによれば、大卒初任給が89,300円の時代 (1975年) です。

ビデオ普及前夜、動画を保存したり買ったりしたりが難しい時代ならではの…

 1970年代の 「ビデオ」 は、まだまだアニメや特撮に興味のある中高生や大学生、若いサラリーマンらにとても手が出せるような値段ではありませんでした。

 ビデオデッキ本体の値段もさることながら、ビデオテープの価格がバカみたいに高く (30分テープとか、60分テープ一本が 4,000円とかしてました…) さらに録画モードにはまだ倍速や3倍速もなく、週1の番組を上書きせずに録画し続けるなど、よほどお金に余裕がないと無理でした。 また 編集 や裏番組の同時記録には複数台のデッキやテープが必要なので (最低2台、ちょっとした ABロール編集 では最低3台必要)、家がお金持ちでもないと、なかなかアニメなどを 「動画・映像のまま」 記録するのは難しかったですね。

ソニー/ SONY EDV-9000 1993年製
ソニー/ SONY EDV-9000 1993年製
beta 規格最後のベータプロ。定価 298,000円。
2002年までカタログに載り続けた。

 ちなみに宇宙戦艦ヤマトの本放送開始が 1974年、再放送などで大ブームになったのが 1977年ですが、当時は8ミリシネ映画版のソフトが売りに出されたり、テレビ画面をいかに忠実に8ミリフィルムカメラで撮影し記録するかといった特集が雑誌などで組まれていたほどでした。

 筆者 は8ミリシネをやっていましたので、ヤマトの一部やテレビ放映されたスターウォーズ、ギャラクティカ、エイリアンなどのSF映画のテレビ画面撮影フィルムがいまだにあったりします (^-^;)。

 ただフィルム代と現像代がすごいことになってしまって (3分間で音声なしの映像のみで 2,000円〜3,500円くらい)、全てを記録するなど夢のまた夢、大半はオーディオテープでの音声のみの記録でしたね。 テレビも家に1台とかしかなく、また当時はオーディオ端子もないテレビだったので、テレビのスピーカー部分にテープレコーダーのマイク部分を近づけての録音となり、食事時のアニメ番組の録音中など何度おかんに 「しゃべるな!」 と声を荒げ、「だったらテレビを消す!」 と激怒されてひっぱたかれたか知れません… (ちなみに蛍光灯の点灯もノイズが入るので厳禁でした)。

 なお留守録 (予約録音) の場合、テレビやレコーダーのスイッチを入れた状態で通電スイッチタイマーつきのコンセントに接続し、電源 ON-OFF の制御をしていました。 後にオーディオ用のエアチェック用タイマー (ナショナル TE-61) を導入しましたが、時計の文字盤が2つあり、片方は時計、片方は予約用のピンを差し込む穴が開いていて、機械的に作動する何ともアナログな機器でした (確か1台1万円ほどもした)。

 しかもこの機器、選べる時間は15分単位でした。 当時どうしても録音したいテレビ番組とラジオ番組がかぶっていて、その時間が微妙に15分単位ではきつかったので、このオーディオ用タイマーを2台購入して片方の時間を遅らせ、組み合わせて1分単位の制御を行っていました。 中学から高校にかけての時代ですが、我ながら良くやっていたなと思います。

憧れの超高性能ビデオデッキ 「SL-J9」

 1980年になり、SONY より β方式の超高性能ビデオデッキ 「SL-J9」(ベータマックス ジェイナイン) が発売。 価格は 298,000円。 ステレオ録音が可能で有線のリモコン (コントロールマスター) が付いたこのビデオは、予約録画はもちろん、スピードコントロール付のスロー再生機能や、さらにぶれずにコマ送りや静止画を表示することが可能で、経済力があるコアなアニメ ファン に絶大な支持を受けました。

 なおこのデッキは、国際映画社によるテレビ東京系で放映されたテレビアニメ (1981年10月〜1984年1月)「J9シリーズ」(銀河疾風サスライガー/ 銀河旋風ブライガー/ 銀河烈風バクシンガー) の名称の由来になっていたとの話もあります。 初代おたく御用達ビデオといえば、やっぱりこのJ9じゃないでしょうか。

 やがてビデオがそこそこ普及してくると、仲間同士でのテープの貸し借りが始まります。 お金もないですから、「お前は○○担当」「俺は○○を録画する」 などと番組ごとにエアチェックの役割分担をして記録していたものです。 筆者は東京住まいでしたが、地方に住んでいるとその地域では放映されないアニメ番組があったりして、ここらの役割分担は大学あたりの縦横のつながりを最大限に使って、全国区で割り振られていたような気がします。 週末になると車やバイクにビデオテープとビデオデッキを載せ、ダビングさせてもらいに知人宅に行ったり来たりを繰り返していた時代もありました。

 この頃になるとビデオフォーマットは VHS がほぼ圧倒する状態となり、一部のマニアは自分用として高画質な beta で記録する一方、とりあえず記録用の録画なんかは、VHS やその3倍速での記録が増えました。 蛇足ながらビデオカメラの方は8ミリビデオ、ついで高画質規格である Hi-8 が、事実上市場を席巻していました。

VHS一強時代の到来と、レンタルビデオショップの開店

ビクター/ Victor S-VHS HR-20000 1993年製
ビクター/ Victor S-VHS HR-20000 1993年製
S-VHS デッキの最高峰。定価 40万円。
ビクター/ Victor W-VHS HR-W1 1994年製
ビクター/ Victor W-VHS HR-W1 1994年製
VHS 規格の最終到達点である、バブル時代
末期の超弩級デッキ。定価 62万円。

 前後してレンタルビデオショップも独立系のものが次々に誕生しましたが、当時はセルビデオやテレビ番組の録画テープをダビング (複製) したのを1日 1,000円とかでレンタルしてましたね。

 当時はまだまだビデオデッキを持ってない人が多いので、再生専用の取っ手がついた安っぽいポータブルビデオデッキ (とは云え半業務用のようなゴツイやつでした) を1泊 1,500円 (さらに保証金として 29,000円とか預ける必要があった) でソフトと一緒にレンタルしていたものでした。

 後にこのレンタルビデオショップはレンタルCDショップ、レンタルゲームソフトショップ同様裁判沙汰となり、現在はレンタルのための法整備と専用の流通が確立していますが、当時はアダルトグッズショップの親戚というか、かなり アングラ な感じのお店でしたね (知人が一人レンタルビデオショップにアルバイトに行き雇われ店長となっていたので、筆者は結構見放題でしたw)。

 この頃、映画やアニメ映画のセルビデオも販売されるようになりました。 筆者は風の谷のナウシカなどのVHSテープを購入しましたが、15,000円くらいした記憶があります。

 1985年以降のおたく御用達ビデオといえば、VHS の家元である ビクター (Victor) の高性能機と相場が決まっていて、S-VHS (Super-VHS) 一号機となる Victor HR-S7000 (1987年/ 198,000円) を受けて、さらに画質と編集機能にとことんこだわった Victor の S-VHS ハイエンドマシン、HR-S10000 (1988年製/ 300,000円/ CLIAZ クリアーツ)、さらにその後の HR-Sx800 シリーズや、その後継である HR-X 一桁機 (HR−X1、HR−X1 Limited、HR-X3、HR-X3 Spirit、HR-X5、HR-X7 など、純粋な S-VHS のフラッグシップモデル)、解像度 や色再現に優れるなど高い スペック を持つ高級機がその座を担うこととなりました。 対抗馬は、Panasonic の高級ビデオデッキ群でしょうか。

 もっとも、大学生や社会人ならともかく、中高生が自分でビデオデッキ、まして高性能なハイエンド機を手に入れるのはほとんど無理な時代ですから、親が理解してくれて家にビデオを設置してくれるかどうか、ある程度の機種を選んでくれるかどうかは、大きな課題でした。

 この頃にはテープの値段もだいぶ下がってきていて、120分のノーマルテープが3本セットで1,000円程度で購入できました。 しかし画質にこだわって S-VHS のハイグレードテープが欲しいとなると 120分で1本 2,000円弱はしていました。 「S-VHS 標準で録画」 と云えば、「俺はこのアニメを、これ以上ないくらい大切に思っている」 との代名詞となりました。

 ちなみに右上の写真のビデオデッキは、筆者が当時使っていたものです。 筆者の本格的なビデオライフ、ビデオによるエアチェック歴は 1985年のアニメ 「ダーティーペア」 からですが (「うる星やつら」(1981年からしばらくは録音テープとフィルムコミックで何とか凌いでいたものの、「くりぃむれもん」 シリーズ 1984年、とどめがダーティーペアだった記憶…)、ビデオ時代最後にはまったアニメ 「美少女戦士セーラームーン」 は、HR-9800 や HR-20000 による S-VHS 標準と、バックアップ用に EV-BS-3000 で Hi-8 標準の2つでSシリーズまでは全話録画しています (LDもビデオも買ってます…ついでに DVD にも手を出してます… ><)。

視聴するジャンルごとに、様々な工夫と苦悩が

 という訳で、筆者宅には録画したビデオテープが少なく見積もっても恐らく 2,500本以上は軽くありますが (完全にサブとして使ってた Hi-8 テープですら、400本以上ある…)、こうした録画テープの保有は、おたくと呼ばれるような人なら大体持っていたものです。

 アニメや特撮などの特 定番 組を記録する人間はまだ軽症な方で、アイドルなどタレントの熱心なマニアだと、アイドルの出演するテレビコマーシャル (CF) を保存するために、複数のデッキであらゆるテレビチャンネルを一日中ずっと録画し続ける…なんてツワモノも友人にいました。 欲しいのはわずか 15秒ほどのスポットCFですから、録画するのも、それをチェックして探し出すのも大変です。

「宮崎勤事件」 と彼のビデオだらけの部屋のインパクト

ビクター/ Victor S-VHS HR-S9800 1990年製
ビクター/ Victor S-VHS HR-S9800 1990年製
衛星放送開始はワクワクしたものです。
ビジュアルオーディオルーム
大型テレビと高性能ビデオデッキ、さらに
ゲーム機が揃えば無敵のオタクルームに。
VHSテープ
標準的な VHS テープ

 ところでこういった 「おたく」 のビデオライフに、強烈なインパクトを浴びせたのが、幼女連続誘拐殺人事件の犯人、宮崎勤の自室の様子 (1989年) でした。 テレビでは連日、録画テープで埋まった彼の部屋を 「異常だ」 と伝えていましたし、それは世間の共通認識かのような論調になって行きました。

 大学生や社会人で一人住まいをしているような人たちにはあまり影響もないかも知れませんが、親と同居してる中学生や高校生くらいの若年おたくは、親との 「録画したビデオテープを処分する、しない」 のいざこざが、かなり深刻だったケースもあるようです。

 緊急家族会議 が開かれ吊るし上げを食らったあげく、学校から帰ったら、長年撮りためたテープや、集めていた マンガ の本をまとめて処分されていた…なんて話も結構あり、彼らの心境たるや想像を絶するものがあります (T-T)。

 ビデオはその後、デジタルビデオ (D-VHS は、超長時間録画を行う 「LS3モード」 と480分テープとの組み合わせにより、最大で1本 56時間録画が可能に) の登場と、その直後の HDD ビデオの登場により、ほぼ部屋に膨大なテープの山を作る必要性がなくなりました。

 またパソコンとの連携が強まり、そもそもビデオを持たず、適当な 動画共有サイト や一部の p2pソフト (ファイルを 共有 するソフトウェア) によるデジタルデータの保存の形が多くなっているようです。 結果、テープの山というより、HDD が何テラバイトあるのか…なんてのが、動画記録に対する 「おたく」 のひとつの基準なんかにもなりつつあります。 2000年代以降は放映されるアニメや特撮の番組数も飛躍的に増え、記録活動も新しい段階に入りつつあるようです。

 ただしデジタル放送録画に関しては、「コピワン」(コピーワンス/ 録画は1度のみ、コピーはできず、HDD レコから DVD などへのムーブ (移動) しかできない) や、その後の 「コピテン」(10回までムーブが可能ですが、コピーはできない) などの問題もあり、とりわけ 2011年のアナログ放送終了までは、いろいろな紆余曲折がありました。

録画しても見ないテープが続出…安価なソフトの登場…おたくとビデオの関係は

 筆者に限って云うと、1995年頃から仕事の都合で 趣味 に使える時間や予算に窮したこともあり、大掛かりなビデオ録画やエアチェックは、それから5年後の 2000年頃に 「卒業」 した感じがあります。 こうした 「卒業」(4大転換点) は、結構多くのおたくが経験するもののようです。

 小さくない理由のひとつは、録画しただけで見ていない番組が大量に出ること。 人それぞれの価値観や生活のありよう次第なのでしょうが、忙しくなったり 結婚 や出産などによって時間的・経済的に余裕がなくなると、「無駄なもの」 に手間や予算をかけることが難しくなります。 本来趣味なんてものは無駄なものですが、筆者の場合、全く見ていない未整理の 120分録画済みテープが少なくとも 300本を超えているのを確認した時に、「見ないものを録画してどうするんだ…」 と、ちょっと冷静になってしまったところがあります。 この頃から パソ通同人サークル の活動に本格的にのめり込んだからというのもあります。

 それでも昔なら、「いつか必要になる時がくるかも」 と自分に言い聞かせていたものですが (^-^;)、今は ネット などで (合法か非合法かはともかく) 動画が拾えたりしますし、またアニメや特撮のビデオやLD、DVD なども安価で出回っています (さすがに新譜のDVDやブルーレイは高いですが、アニメなんかは流行が過ぎると中古がありえない値段で出回るんですよね…)。 なるべく リアルタイム で見る、見逃してどうしても見たいものはソフトを買って見る。 結局はこれが安上がりで場所も取らないと思うようになっています。

 とはいえ、DVDやブルーレイなどでは、当時のそのアニメの関連グッズのコマーシャルや、その番組がリアルタイムで放映されていた時のプレゼントの 告知 テロップなどは入っていません。 また ヤシガニアニメ のように後々伝説となるような作品は、ソフト化される時にはリテイクされて内容が変わっていたりもします。

 「誰かたった一人でもきちんと記録する人がいないと」「もしそれがいないなら、自分が…」 ってのは、やっぱり 「オタク」 の正しい姿なのかも知れません…w

やっぱりデジタルは便利だよね…

薄型テレビとHDDレコーダーでアニメ視聴も捗る
薄型テレビとHDDレコーダーでアニメ視聴も捗る

 ちなみに筆者は現在、SONY の 65インチ4KテレビにブルーレイやHDDの プレイヤー、AVアンプをつなぎ、5.1chサラウンドでアニメや アニソン のライブ、映画やネイチャー系のコンテンツなどを見ています。

 この 環境 で昔録画したS-VHSなどのアナログソースを再生すると、4Kにアップコンバートしてもデジタル画質に慣れた目と大画面ではやっぱりちょっと辛くて (まぁずっと見ているうちに慣れてきますが)、というか、何よりテープ類の扱いがとにかく面倒で、なかなか見ることはなくなってしまいましたね。 そのうち若いヤングは 「巻き戻す」 って言葉の意味や ニュアンス も分からなくなるのかも。

 一応昔から使っているアナログビデオデッキ類は大半を残しているのですが、膨大な録画テープを生きている間にじっくり観返したり、アニメシリーズを 一気見 したり、デジタル変換までして視聴・保存することは、たぶんなさそうです。

 何というか、画質や大画面もさることながら、初めて視聴環境をデジタルに完全移行した時は、異メーカー間の機材でも HDMI でつなぐだけでテレビのリモコン一つで全部制御できるとか、HDD に録画した動画データをメニューから選ぶだけでどんどん視聴し続けられるとか、PCとの連動、最近ではスマホや タブレット、デジカメなどとも無線LANで簡単に連動できるとか、機材オタ としてあまりに便利すぎてちょっと感動してしまいましたよ。 子供の頃、苦労してオーディオテープや8ミリフィルムで必死にアニメを記録してたのが、遠い夢の中の出来事のようです…。

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(同人用語の基礎知識/ うっ!/ 2005年12月11日)
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