青いけむりが、まだつつ口から細く出ていました。 「ごんおま」
「ごん、おまいだったのか」、あるいはこれをアレンジした 「〇〇、おまいだったのか」 とは、ネット においては縁の下の力持ち的な存在の人、陰の功労者、あるいは黒幕、何らかの失敗や トラブル の原因となったような人に対して 「お前がいたからか」 と評価したり揶揄するような使われ方がされる フレーズ です。 ポジティブ・ネガティブ 両方の使われ方がされます。
例えば成功したビジネスや優れた コンテンツ に 有能 だと評価されている著名な人物が影で関わっていた場合には、〇〇部分にその人の名前が入る形で 「〇〇、おまいだったのか、これを創ったのは」 と表現して称賛する意味になりますし、失敗したり劣悪な結果に終わったそれに対しては、戦犯のような扱いでこのフレーズが使われます。
多くの日本人が国語の教科書を通じて知っている 「ごんぎつね」
このフレーズの 元ネタ は、「ごん、おまいだったのか、いつもくりをくれたのは。」(略して 「ごんおま」) で、日本の児童文化運動の父とも呼ばれる新美南吉さんによる有名な児童文学 「ごんぎつね」 の作中セリフに由来します。 いたずら好きな子ぎつねと猟師である村人兵十との、すれ違いによる悲劇を描いたこの 作品 は、戦後は小学校の国語の教科書にも長らく掲載され、日本人の多くが知る 定番 の作品となっていました。
健気なごんの悲しい結末は時代時代で様々な受け取られ方をされます。 ひと昔前までは 「誰でも過ちを犯すが反省することが大切」「しかしすれ違うことで悲劇も起こる」 といった受け取り方が多かったのでしょうが、後には 「そもそもイタズラをしたごんが悪い、自己責任」 とされるなど、人々の意識や世相を映す鑑? だともされます。 いずれにせよ 「相互理解やコミュニケーションの大切さ」「誠意や苦労が報われない悲しさ」「失って気づく切なさ」 を表現する言葉として使われるようになっています。
ちなみにこの 「ごんぎつね」 と、「そうかそうか、つまり君はそんなやつなんだな」 で有名なヘルマン・ヘッセの 「少年の日の思い出」 は、日本人の国語義務教育における トラウマ の双璧をなす 物語 として不動の地位を得ていると云って良いでしょう。
なお新美南吉さんの作品で狐が出てくる有名なものに、可愛らしくハートフルな 「手袋を買いに」 もあります。 こちらも日本ではもっとも有名な児童文学のひとつであり、子供の頃に読んだり読み聞かせで触れるなど、日本人の多くが知る物語でしょう。
森で暮らす母狐と子狐の物語で、冬に手がかじかんで 「お母ちゃん、おててが冷たい、おててがちんちんする」 と訴える子狐を 不憫 に思う母狐が、狐であることが怖い人間にバレずに町の帽子店で手袋を買えるよう、子狐の片手だけ人の手に変えます。 子狐は町へ行き、母狐の言いつけの通りにお店の戸の隙間から手を差し入れてお金を渡し手袋を買おうとしますが、誤って人の手ではなく狐のままの方の手を入れてしまいます。 しかし優しい店主によって無事に買うことができ、その顛末を子狐から聞いた母狐は 「まあ!」 とあきれつつも、「ほんとうに人間はいいものかしら」 とつぶやくというお話です。





