正論か、それとも単なる他責・他罰か 「私、何か間違ってるでしょうか?」
「私、何か間違ってるでしょうか?」 とは、何らかの トラブル が発生し、それを ネット などで告発・説明あるいは釈明する際に、自分の正当性を具体的に示して直接訴えるのではなく、ちょっと遠回しにへりくだったように見せかけてアピールする決め台詞のひとつです。 単に 「間違ってる?」 になったり、さらにへりくだって 「判断はお読みになった方にお任せします」「わかる人にはわかってもらえると思います」 といった云い方になることもあります。
よくある パターン としては、自分が被害者だと名乗り出て被害を主張する場合と、誰かに加害者だと告発・非難されてその釈明を行う場合の2つがあります。 こうした 「自分こそが被害者だ」 というアピールは 拡散 されて騒ぎが大きくなると部外者も乱入しての非難合戦、炎上 に発展しがちです。
トラブルなどは当事者間でしかわからないこともありますし、告発した方にこそ問題があるといったケースは少なくありません。 一方の意見だけで判断するのは危険ですし、双方の意見が出た後でも本当のところはわからなかったりもします。 しかし 「私、何か間違ってるでしょうか?」 は、一見相手に判断を委ねているような、お伺いを立てている風を気取りながらも、実際は 「私は間違ってない」「こちらが正しい」「潔白だ」 との極めて強い独善的な押しつけを見るものに与えるフレーズです。 どちらに真実があるにせよ、あまり好ましいフレーズではないでしょう。
一概には云えませんが、こうしたフレーズを口する時点で独善的で 他責・他罰的 な姿勢が丸見えですし、メタ認知 に乏しく人の心の機微に無頓着なのが何となく 察せられ ます。 結果、ほとんど開き直っているような印象を持たれたり 「ここには語られていない (語れない) 隠されたあれこれがあるのではないか」 との邪推も生じかねないものでしょう。
なおネットで不特定多数にアピールするのではなく、個人的な相談事として自分が悪いかそうでないかを友人に訊ねるとか、コンプラ違反・パワハラ当たり前のブラック企業で無理難題を押し付けられた時に正論を述べる形で使う分には、このフレーズを使う人への前述したような批判的な意味やニュアンスはないでしょう。 裏表のない文字通りの意味ですし、このフレーズ本来の使い方でもあります。
周囲からどう見えるかを、それなりに意識するのは大切
世の中には、ある特徴を持つ人が発しがちな言葉やフレーズがあります。 本人はそれに気づいておらず、またその言葉やフレーズに日本語としての間違いはなくとも、「一般常識を持つ 普通 の人はそんな言い方はしないものだ」 という暗黙の前提というか、よくわらないけど何となくよくわかるみたいな独特な言葉遣いの空気感があったりします。
さすがに他人を陥れるために虚偽の告発をする人がそれほど多いわけでもないのでしょうから、本人は本当に被害を受けたと思い込んでいるだけなのかも知れませんが、平等客観的に見るとどうもこの人の主張は何かおかしい、という独特な空気感 (ネットでいう 香ばしさ) をまとっていることも多いものです。 その場合、その意見は予断を持って厳しめに判断されたり、まともに取り合ってもらえないこともあるでしょう。
話の本質や核心部分ではなく口調や話し方をあげつらう 詭弁 や 人格攻撃 に トーンポリシング があります。 本来は口調などではなく何を語っているかが大切なのは当然です。 とはいえ会話にせよ議論にせよ人間同士のコミュニケーションなので、さすがに 「ものには言い方ってものがあるだろうが」 という状況はあります。 ネット上のあれこれなどは、しょせんは共感や 同意 をどちらがより多く集めたかの ゲーム みたいなものですから、わざわざ反発を覚える刺々しい言い方をしても本人が損をするだけです。
「わたしはこんなひどい目に遭った」 という告発にはつい同情したくなるし、それがネットで話題ならついその話に乗って正義漢を気取りたくもなりますが、事情がよくわからない個人間のトラブル炎上などには、どちらの立場に立つにせよ、安易に乗らない方が良いのかもしれません。 安易に一方に肩入れして相手を非難しまくったあげくちゃぶ台返しされて逆に追及・非難される立場に立たされるなど、あまりに滑稽な話でしょう。





