時代とともに言葉も、そして定義も変わる… 「定義」
「定義」 とは、何らかの事象やそれを指し示す言葉を、その他のものと明確に区別するために定める作業、それを言語化したもののことです。 哲学的にはあれこれと条件付けをしたり範囲や内容を明確に限定して、物事や存在そのものの本質や真理を探る試みであり、「それが何であるか」 を厳しく問うものと云えます。 近いものに 概念 があり重なる部分も少なくありませんが、定義は概念よりもより厳密にものごとを捉える時に使うことが多いでしょう。
言葉は人同士のコミュニケーションの道具でもありますから、より実用的な意味で、ある言葉を他人と 共有 できるように指し示す範囲や意味をひとつに定める試みでもあります。 個人の主観や曖昧なイメージだけで言葉を使うと、同じ言葉を使っていてもお互いに全く異なるものを想像してしまう危険性があります。 定義がはっきりしていて互いに 認知 していれば、話し合うための土台が固まり議論も深まるでしょう。
さらに数学的・あるいは学問的な使い方でいえば、定義はあらゆる論理的な体系を構築したり述べるための基準や出発点になります。 話し合いで使う言葉に共通の認識が必要なように、あらかじめ合意された 「素数とは何か」「生物 とは何か」 が定まっていなければ、その先の議論や計算、証明 (定理) ができなくなります。 これでは学問の進歩も望めませんし、学校 の試験で得点もできないでしょう。
定義しやすいもの、しにくいもの
定義は簡潔で、できればたったひとつであることが望ましいでしょう。 とはいえ素数の定義や三角形の定義などはある程度簡単に定められても、「生物とは何か」、あるいは 「正義 とは何か」「幸福とは何か」「愛 とは何か」 といった抽象的・多義的な言葉とか、境界があいまい過ぎる上に常に変化している文化や ビジネス の事象や概念は、簡潔にまとめるのも難しいし、まして 「これが決定版だ」 みたいな定義はいよいよ作りづらいでしょう。
正義や幸福や愛とは何ぞやという問いは、時代ごとに哲学者や思想家、あるいは宗教家らによって絶えず議論の対象となってきました。 また移ろいやすい文化やビジネス的なものは学術的なそれと世俗的なそれ、あるいはそれぞれの時代や業界といった カテゴリ で異なる定義が作られ使い分けられてもきました。 いずれも国語辞典的な定義や解釈、漠然としながらもある程度は共通するイメージがベースにありながらも、人それぞれが思い描く (あるいは採用する) それぞれの定義があって、すれ違いも生じます。
とりわけ ネットスラング や おたく用語 などは 元ネタ や発祥が分からないものもあり、あっても意味や使われ方も日々変化し続けています。 本来の意味にそった適切な定義が誰かによって作られたとしても、それが共通の認識になって共有される前に変化して 再定義 の必要が生じてしまうのですね。
とくにネットスラングなどは、ある 界隈 で称賛の意味で使われている言葉や概念が、敵対する別の界隈では正反対の意味になったりして、 普遍的で厳密な定義が作りづらい上、それぞれが個人的な主観や特定のスタンスを強調するためにふわっとした 雰囲気 で使ったり、あえて定義に反するような使い方を意識的に行ってもいます。 客観的な妥当性や正確さ、それによる対話の土台作りというよりも、その人独自の視点や言葉選びのセンスの誇示、レトリックとしての意味が濃くなりがちです。
このサイトでもおたく用語やネットスラング、あるいは 同人用語 などに意味の説明としてしばしば定義づけを行っていますが、別にそれが絶対的に正しいわけでもなく、またある時点では正しくてもその後変化して古くなることもあります。 この捉えどころのなさは難しく 厄介 な反面、面白くまた刺激的なものでもあります。





