教えたがる男性? 上から目線のお説教 「マンスプレイニング」
「マンスプレイニング」(マンスプ/ mansplaining) とは、男性のほうが女性より知識が豊富で知的に優れているという無意識の偏見 (ジェンダーバイアス) から、男性が女性に対して望まれてもいないアドバイスや講釈、さらには説教を上から目線で自信満々にするような態度を批判的に指す言葉です。 言葉そのものは 「男」(man) と 「説明する」(explain) の2つを混ぜた言葉で、アメリカで2009年前後から主に ネット で同時多発的に使われるようになり、しばらくして日本でもフェミニズムやジェンダーといった話題の中で用いられるようになっています。
もちろん実際に男性の方に知識があって、教えを乞う女性からの求めに応じて説明をするなどはあって当たり前です。 また女性からの求めがなくとも、成熟した男性が未熟な若い女性の誤りや危なっかしい行動を、たとえ女性本人から煙たがられたとしても道義的な理由から諭して正すなどは、ある種の 「大人の義務」 みたいなもので、あっても良いという意見もあるでしょう。
しかしマンスプとまで呼ばれるような状況では、男性側にたいして知識もなく、むしろ相手の女性の方が圧倒的に知識や知的水準が高い場合でもそれに気づかず、あるいはその可能性を全く疑いもせず、偏見に基づいてまるで 「無知な女子供に俺が教えてやる」 と云わんばかりの不遜な態度で接するものが主な対象です。 男性の口から語られる知識も、当の女性は当たり前に知っている初歩的なもの、あるいは間違ったものだったりします。 聞かされた方は相手の高慢な態度や女性差別的言動に腹が立つのはもちろん、自らの知識や専門分野で頑張ってきた自負、これまでの経験に対する軽視に直面し、心理的な負担も大きなものとなるでしょう。
実際問題として、やたらと高圧的であれこれと指図したりウンチクや講釈を垂れたりアドバイスしようとする男性に出会い不快な思いをした経験を持つ人は少なくなく (筆者 だってあります)、実感を伴う話でもあることからこの言葉と問題提起は共感や支持を集めるようになります。
昔から 「説教好きなおじさん」 は嫌われていたもの
そもそもマンスプなる言葉が使われる以前から、説教おじさんとか教えたがりおじさん、ウンチクマン、アドバイス魔などは忌避の対象でした。 一般に 老害 と呼ばれる高齢者の押しつけがましい態度も、頑固親父などというように高齢男性がその多くを占めていましたし。 実際は女性でも高圧的で説教や小言ばかリ放つ面倒で小うるさい人はいますが、時に暴力的ですらある圧の強さは、やはり体力に勝る男性に目立つのでしょう。
とくにお酒を飲むお店に 客 として訪れた男性がキャスト (ホステス) に知識をひけらかしたり、性風俗で プレイ をしっかり終えてすっきりした後に、自身の照れ隠しか罪悪感の罪滅ぼしのつもりか何か知りませんが嬢に対して 「こんなこといつまでもやってたら良くないぞ」 などと説教をかますのは、疎ましい自慢話や 武勇伝 と並んで 昭和 の時代から 「夜の街の おじさん あるある」 のありふれた話でしょう。 また中高年男性による若い女性への言動がもっぱら目立つことから、単に男尊女卑・女性差別的感情の発露だけではなく、何らかの下心を疑う意見もあり、その観点での批判もあります。
とはいえ、しばらくするとマンスプの指し示す範囲が広がり、業務上必要な男性上司と女性部下とのやり取りにまで 「偉そうでムカつく」 とこの言葉を使った批判が生じたり (女性部下と男性部下との態度が大きく違うのならその傾向はあるのかもしれませんが)、そのうち相手の年齢や性別を問わず男性が誰に対しても見下したような口調で説明することをも指すようにもなり、意味も 拡散。 もはや女性に対する偏見や蔑視に基づく不快な言動ではなく、単に 「偉そうにするおっさんが キモイ」 みたいな話になってきます。 男性嫌悪の傾向を持つ女性にとって、自らの意見に反論をしてくる男性に貼るレッテルとしてこれ以上ないほど便利な言葉や 概念 でもあるため、日本でも2010年代中頃からはネットで比較的見かけるものとなっています。
一方でマンスプという言葉や概念に対しての批判や反論もあります。 「名称にわざわざ 「男」 を接頭し 「男はこうだ」 と決めつける一部の女性による男性差別語の一つ」「やってることは女性を無知と決めつけるマンスプ男性とやらと同じで単なる ダブスタ、差別者の 自己紹介」 などです。 マンスプ行為があったとしてもそれは男性だからではなくその人個人の性格的な問題であり、いちいち 主語を大きく して男性全体の話に一般化するなという訳です。
そもそもネットでマンスプという言葉を得意げに使い、攻撃的・他罰的 に男性を口汚く批判するフェミニストを自称する人たちの独善的で高圧的、上から目線のエクスプレイングっぷりも相当なものです。 自分たちが伝える知識やアドバイスはあってしかるべき適切なもの、正当な問題提起や啓蒙、善導で、男性のそれは醜い差別に基づく知ったかぶりのマンスプだ、あるいは トンポリ だでは、まともな意思疎通も困難でしょう。
日本においても SNS を中心に 「マンスプ」 が広がる
この言葉の 背景 には 「男性の方が知識や知性に優れている」 という偏見があるとされます。 その偏見を擁護する意見としてしばしば語られるのも 「だって世の中の専門家や学者は男性が多いじゃないか」「模試などの成績上位は男性ばかり」 という表面的なものが少なくありません。
実際にそれはそうなのですが、さらにその背後に家父長制やらパターナリズムに基づく 「女は男が守ってやらなければならない存在」 とか 「女は学問などせずに家のことだけやっていればよい」「男に従え」 という性的役割 (ジェンダーロール) が横たわっていることに注意を払う必要があります。 現在こうした意識は時代の変化とともに急速に失われていますが、かつては 「男らしさ・女らしさ」 として根強いものがありました。 男女で社会進出や教育機会の不平等がありながら、専門家や学者の数で女性が少ないから劣っているなどは、ほとんど屁理屈にもならない空論でしょう。
また仮に家にいることを選ぶ女性が多くて (実際に多い) 専門家や学者が少ないのだとしても、それで反論できるのは社会進出や教育機会の格差はかなり改善したよねまでで、別に知識や知性に劣るという証明になどなりません。 模試の結果や IQ の頂点付近で多少の差や違いがあっても、その数値だけで人の知識量や知能や価値が決まるわけでもありません (IQ の分布は男女で違いがあり、女性は男性に比べ中央値・平均値に収束しやすく、男性は上下の幅がやや広い特徴があります)。 マンスプのような一方に偏った 雑 な論に同じような雑な反論をしたところでどうしようもありません。
マンスプとは直接的な関係はありませんが、状況だけは比較的似た議論が 1970年代から1980年代あたりの、かつてのフェミニズム運動の中でもありました。 代表的なのはニュース番組などで、その番組の顔となる人物、例えばキャスターや 司会者 らが男性アナウンサーや男性ジャーナリスト、招く論説委員や有識者も男性ばかりで、女性アナや女性タレントがそのアシスタント・補助役、聞き役として用いられることがとても多かったことへの批判があります (これは現在でもほとんど同じでしょう)。 「女性は男性の補助しかできない」 という女性蔑視や性役割の押し付けに見えるものであり、それをメディアを通じてイメージとして広めて偏見の固定化に加担するのは許されないというわけです。
この場合は本来の意味のマンスプの構図とはなっていませんが、男性が主役で女性はその補助的な役割ばかりというのは男性の方が専門的な知識や見識に優れているとの印象を与えますし、男性はベテランキャスターや記者、ジャーナリスト、名のある学者で、女性はしばしば若手の女子アナだという 年齢差 がある点も、先生役・生徒役にも見えてしまいます。 結果として 「おじさんが若い女性にご高説を垂れて気持ちよくなるための番組だ」「報道番組は銀座のクラブやキャバレーや女子校ではない」 との批判が生じていました。
これらはその多くが女性差別のほとんど核心の テーマ にも繋がる話でもあるため、賛成にせよ反対にせよ鋭く対立し、相手の粗さがしをする議論になりがちです。 女性の社会進出や雇用機会・待遇の均等化に資する議論だったという評価がある一方、結果的に男女間の相互理解や歩み寄りを阻害し、いたずらに対立や分断を 煽る だけだとの批判もあります。 他方、日本の大手メディアがやたらとフェミニズムやジェンダー的な価値観を称賛しつつも、実際は先ほどのニュース番組での男女の扱いの差や、あるいは日本企業全体の平均値から見ても経営陣に女性が極めて少ないという状況を 言行不一致 だとしてあげつらう別角度の意見もあります。 他人を批判する前に自分でやって見せろというわけです。
個人的には男だろうが女だろうが教えたがりや説教好きな人はいると思います。 そしてそういう人がしばしば自分より弱いと思う人、格下だと思う相手に上から目線になりがちなのも同じです。 原因も純粋な善意によるものもあるのでしょうが、自己評価ほど世間から自分が評価されていないことへの苛立ちとか満たされない思いとか、無意識なコンプレックスの裏返しによる虚勢とか マウント取り あたりも多そうです。 どちらも自分が下だと思った相手への甘えや依存、踏みつけ の感情によるものです。 昔に比べてはるかに男女平等に近づいているとはいえ、まだまだ格差はもちろんありますが、そこまで性別を持ち出す必要はないと思います。
ただ女性のそういう迷惑な人は、自分より弱い相手や格下として選ぶのが同じ女性になりがちなのに対し、男性は身体の大きさとか体力的に女性より上なため、対面でのそれでターゲットに女性を選びがちで悪目立ちする部分はありそうです。 どっちもどっちだとは思いつつも、多くの迷惑な女性がターゲットに女性を選びがちで、やれ嫁姑とか後輩先輩お局様とか女性同士でやりあっているのに、男性の迷惑な人は何で女性をターゲットにするんだ、そっちはそっちで男同士で勝手にやりあってろという話なのだとしたら、そりゃその通りだろうなとは思います。 ただしそんな女性でも、対面ではなく身体的な アド が無意味なネットにおいては自分が弱そうだと判断した男性 (弱男) には容赦がなかったりもしますけれど。
前述した夜の街の過ごし方を見ても、男性はウンチクや知識をひけらかして虚勢を張りがちで、女性は愚痴や悩みをこぼしがちではありそうなので、それこそホルモンだの身体の仕組みだの、人間が動物である以上オスメスの違いによる傾向の差はあるのでしょう。 一部のネット上の自称フェミニストは夜職とのつながりを明確化していますし、バズ を狙った共感集めの話題でもあるのかも知れません。 不快なストレスにどう対処するかのメンタルな部分とか、迷惑な相手をどうするかの 雑談 として聞き流す程度ならともかく、やれ差別だ 人権 だといったテーマと直接 絡め て取り合うべき話ではないと判断します。
まぁマンスプ関係は、こんな解説や説明のための サイト をやっている筆者にとっても他人事ではありませんし、若い頃は塾講師のアルバイトをしたりセミナーで登壇したりと、人に何かを説明したり教えたりする楽しさ嬉しさは十分わかるつもりです。 処世術として人に好かれるためには話し上手ではなく聞き上手になれとは昔から云われますし、人は自分の話を誰かに聞かせることに快感を覚え、また頷きながら真剣に聞いてくれる人には好意を持つものです。
自分から話の口火を切らないで訊かれたら答える、水を向けられても待ってましたとばかりに食いつかない、押し付けない、あまり早口でまくしたてないあたりを意識して、なるべく ウザい やつと思われないようにしたいものです。 というか、そんなに説明するのが好きなら、自分でサイトを立ち上げるなり 配信 をするなりすれば良いのにとは思います。 それが面倒ならお金を払ってそういうお店で思う存分説明すれば良いと思います。 自分が気持ちよくなるために他人を利用せず、もっと手間やお金を掛けて真面目にやって欲しいものです。
「ノーベル賞 まるわかり授業」 炎上で日本でも一気に知名度が上がる
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| 「まるわかりノーベル賞2018」(NHK NEWS WEB) |
日本において一般にも広くマンスプという言葉が広がったきっかけの一つに、2018年10月のノーベル賞解説特設サイトにおいて VTuber キズナアイさんが起用された際の 炎上 があります。 騒動の発端は、NHK が本庶佑 京都大学特別教授のノーベル医学生理学賞に際して開設した 「ノーベル賞 まるわかり授業」(NHK NEWS WEB) の公開に始まります。
同サイトでは案内役として起用された キズナアイさんが、先生役として呼ばれた科学技術振興機構 (JST) の3人の男性学者にノーベル賞受賞の意義や、賞を受けた研究の概要 (ノーベル医学・生理学賞、物理学賞、化学賞) を 対話風のフリートーク 形式で教えてもらうという内容になっていました (サイト上の記事の他、動画 もあった)。
これに対して一部の弁護士や インフルエンサー、ネット民 らが、キズナアイさんの キャラデザ というか容姿に対して 「性的に強調して描写された キャラクター であり、女性の体をアイキャッチに使う感覚を疑う」 と疑義の声を上げます。 さらにもう一つの問題点として挙げられたのが、「若い女性の表像である VTuber が男性学者の聞き役になっており、マンスプそのものだ」 というものでした。
しかし同サイトは別の話題や解説では男性が聞き役として起用されてもおり、別にキズナアイさんや女性だけをアイキャッチに起用したわけではありませんでした。 若者向けに分かりやすく解説をするという 企画 で、若者に人気で フリートーク も面白い VTuber を話題性のある人物として起用していたに過ぎません。 キズナアイさんの体形や衣装、設定 が過度に性的かというと、アニメ のキャラなどにはよくあるもので女性からも支持される存在であり別に過度に性的ではないし、「男性の解説の聞き役に女性」 の批判も他に男性が同じ役割で起用されている以上、的外れなものでした。 これがダメならキャラクターや芸能人を使った広告をはじめ、アイキャッチ ビジネス 全体がダメになってしまいます。
何を過度に性的だと感じるかは個人差があるし、アイキャッチビジネス全体がダメだという立場があってももちろんいいけれど、彼らが問題にするのはおおむねいつも おたく や若者から支持される日本の マンガ やアニメ、ゲーム の女性キャラや ルックス に優れた女性アイドル、そしてその ファン ばかリです。 そこに男女平等以外の目的や何らかの偏見、党派性 を感じて批判する人がいても仕方がない部分があります。
それ以前より ツイッター などの SNS で、単なる男叩きにファミニズムやジェンダー風の装いを絡めたり自らが女性問題に取り組んでいると称する アカウント の雑な批判や議論が度々生じていたことから、「またツイフェミによる表現狩りの 放火 が始まった」 と、冷ややかな反応が支配的になってしまいました。






