邪魔? アキバっぽさ? ラッピングされたショーウィンドウに映り込む時計
![]() |
日本で最も撮影される時計 (同人する子) |
「日本で最も撮影される時計」 とは、おたく の 聖地 とも呼ばれる日本屈指の オタク街、東京は 秋葉原 に建つ1本の時計柱 (野外用のポール時計/ 時計台) のことです。 別名 「モモーイ時計」 とも呼ばれます (後述します)。
場所は JR秋葉原駅 電気街口改札から出て左折し、正面の通りを右に曲がってすぐ、アトレ秋葉原の北側 (アトレ秋葉原1/ atre1) のショーウィンドウ (ガラス面) 前の歩道上で、1990年代中頃に設置されています。
アトレ秋葉原1のショーウィンドウにはおおむね常に何らかの プロモーション のための掲示物が貼られており、土地柄から アニメ や ゲーム の キャラクター などがよく ラッピング されています。 併せて館内に等身大POP や期間を 限定 したお店などが設けられ、「〇〇 × atre」 といった形の コラボ が行われます。
当然そのアニメやゲームの ファン が訪れてラッピングの写真撮影をするのですが、その際にこの時計柱が映り込むことが極めて多いため、俗に 「日本で最も撮影される時計」 あるいは 「日本で一番邪魔な時計」 などと呼ばれるようになっています。 邪魔扱いされるのは、設置位置がショーウィンドウの前で (11枚あるガラス面の左から3枚目と4枚目の間に建っている)、全体を撮影しようとすると邪魔になってしまうからです。
またこの時計柱は寄りかかるのに手ごろな存在のため、通行人などがこの柱の周辺に滞留して立ち止まりがちという問題もあります。 もちろん待ち合わせのための柱でもあるので (後述します) 使い方として間違ってはいないものの、元々通行人が極めて多い場所でもあるし、ラッピング目的でやってきた人はいつまで経っても思うような写真が撮れなかったりして 「あれさえなければ」 と感じてしまうことが多い存在となっています。
とくにアトレ秋葉原1がオープン (2010年11月) してしばらくしてスマホ (スマートフォン) が普及し、また SNS も利用者が増えて街中での写真撮影が極めてポピュラーな存在となったこと、いわゆるインバウンド客 (外国人観光客) が増えていかにもアキバっぽいこの場所での撮影や SNS での 投稿 が増えたこともあり、存在感が増すこととなっています。
ちなみに一般的に日本でもっとも写真撮影される時計と呼ばれるのは、北海道にある札幌市時計台でしょう (周辺があまりに殺風景で日本一がっかりする時計とも)。 また愛媛県松山市の道後温泉にある坊っちゃんカラクリ時計、神戸のこうべ花時計あたりも有名で、いずれも著名な観光地であり訪れる人も多いです。 しかし通行量の多さから見て、こと撮影頻度に限っては、現在ではアトレ秋葉原前の時計にその座を奪われたと見て良いかもしれません (根拠はありません w)。
ちなみの蛇足で、東京は銀座の和光ビル (旧服部時計店本社ビル) の時計台も、日本を代表する時計のひとつでしょう。 こちらは東京にゴジラなどの怪獣がやってくるとだいたい破壊される 定番 のモニュメントとしておなじみです。 特撮あたりでは最も壊された時計として知られています。
正面から見たアトレ秋葉原1のショーウィンドウと時計
![]() |
正面から見たアトレ秋葉原1のショーウィンドウと時計 |
いや、やっぱちょっと邪魔っすね…w。
待ち合わせの目印として愛される? モモーイ時計
![]() |
アキデパ時代の時計 |
![]() |
旧秋葉原駅舎と時計上から |
![]() |
アキデパ解体&アトレ建替工事中の時計 |
![]() |
桃井はるこさん 「My Resolution 〜あの時計の下で〜」 (2009年) |
この時計は電柱などと同じコンクリート製のポールの上に、メタリックでモダンな時計がそのままむき出しで乗る形となっており、東西に時計面を向けて真っ直ぐ立っています。 元々この場所は単なる歩道ではなく、ちょっとした広場とやたらと幅の広い横断歩道のような場所となっていて、秋葉原で待ち合わせする際の目印として使われていたものでした。
設置当時はまだアトレ秋葉原は存在しておらず、1950年12月にオープンした 秋葉原デパート (アキデパ) が建っていました。 秋葉原デパートの北側は南側に引っ込んだ構造となっていて駅前はわりと広く、家電量販店や メイド喫茶 などの店員が チラシ を配ったり、屋台が設置されて便利グッズの路上販売などもされていました。 歩道の端っこの時計ではなく、人々が集まる中心、駅前のモニュメントのような存在だったのですね。
一方、アキバ系アーティストとして知られる人気声優・歌手の桃井はるこさんが秋葉原への 愛 をほとばしらせ、この時計を雑誌や1998年あたりから 出演 し始めたラジオ番組などで度々話題にしたり、その後自身の楽曲 「My Resolution 〜あの時計の下で〜」(2009年/ 2016年にセルフカバー) の題材としても用いたことから、ファンの間では彼女の愛称をとって俗に 「モモーイ時計」 と呼ぶこともあります。 この時計の下で メイド服 で 萌え萌え の彼女と待ち合わせるなんてのが、エロゲファンを中心に一部のおたくにとってはちょっとした憧れでもあり、ロマン が感じられる存在です。
その後 秋葉原デパートは老朽化や売上の減少などにより閉店し建て替えられることとなり、2006年12月31日に55年間の歴史に幕を下ろします。 4年間のブランクを経て2010年11月19日にアトレ秋葉原1 としてリニューアルオープンしますが、秋葉原デパートと違いアトレの建物が歩道ギリギリまでせりだす構造のため、結果的に広場および WELCOME TO AKIHABARA と記された横断歩道の中央にあった時計が、歩道の端っこの微妙な位置に建つこととなっています。
なお同時並行的に秋葉原の駅舎も一部が建て替えられ、電気街口と中央改札口 (昭和通り方面) とを結ぶ東西自由通路もできると人の流れも変わりました。 しかし古い建物の解体撤去や建設の間も一時的な撤去や保護のための養生で隠れることもなく、ずっとその場に留まってちゃんと時計として機能していました。
時間だけでなく時代も刻む、秋葉原駅前の時計
変化の激しい東京都内は、いわゆるバブル景気以降も続く再開発などに伴い、古いものと新しいものが混ざって 「何でこんな場所にこれが建っているんだ?」 みたいな謎の建物や施設が目立ったり、全体の 雰囲気 が一変した場所が結構あります。
秋葉原もつくばエクスプレスが開業 (2005年8月) したり、ヨドバシカメラAkiba (2005年9月) が昭和通り口方面にできたり、南側の空地に秋葉原UDX が建つ (2006年3月オープン/ それ以前はバスケットコートのある公園、その前は神田青果市場) など、2000年代を中心にここ20〜30年の間の再開発ですっかり景色が変わりました。 もうひとつの秋葉原のシンボル、この時計の斜め前にあるラジオ会館もその後建て替わっています (2014年7月オープン)。
この時計は設置当時の場所にそのままの面影で残っており、秋葉原を舞台とした 作品 の背景にアキデパと共にしばしば描かれていたりもします。 アトレオープン前はモモーイファンのみならず、一般の おたく でも東京の おたスポット のひとつとしてこの時計をわざわざ見に来る人もいました。
2010年以降のラッピング撮影だけを考えたら邪魔な存在ではありますが、秋葉原の超一等地のラッピングでその作品が輝いていた証拠、秋葉原の風景の一部としての写真なら、この時計柱 (時計台) も 画面 から欠くべからざる存在の一部と云えるかもしれません。 時を刻む時計だけに、古い秋葉原と新しい秋葉原との時や時代をつなぐ存在といって良いでしょう。
ちなみに 筆者 のいる 同人サークル で オフ会 をする際は、ちょうど同じ 1995年の夏前あたりからいつも秋葉原で集合していますが、この時計を目印や待ち合わせ場所にしたことは一度もありません…。 建てられたばかりで 認知 されていませんでしたし (いつもは同じ改札から出て右側のコンビニ (赤と黄色の看板時代の NewDays その後閉店) の前で、以降は 「いつもの場所で」 みたいな場所指定で事足りてしまいますので)。 一回くらいは待ち合わせ場所に指定してみようかな…。
完成当時はバブル経済はとっくに崩壊していましたが、東京のあちこちでまだ再開発が進んでいる時期でもあり、「お、こんなところに時計が」 と新鮮に感じたものでした。
![]() | ![]() | ![]() | ![]() | ![]() |
関連する同人用語・オタ用語・ネット用語をチェック
