もう届かない? まだまだこれから? 眩い季節 「青春」
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| 過ぎ去って気がつく ああ、青春だったなって (同人する子) |
「青春」 とは、若さとそれに伴う情熱や活力、生命力、勇気、素直さ、未来への夢や希望、その一方の未熟さや不安、繊細さ、臆病さ、葛藤や挫折などを含む幅広い 概念 です。 子供から大人といった成長を指すこともあります。 青は甘酸っぱい若々しさや未熟さを象徴し、春は新生・成長・芽吹きといった季節をあらわし、文字どおり 「若さの季節」「若々しさ」「青年」 を意味します。
日本では明治時代以降に文学や教育の場で広く用いられ、この時代の文豪として知られる夏目漱石 (作品 では坊っちゃんとか三四郎とか) や谷崎潤一郎 (青春物語とか) らの作品で 主人公 を青年とすることで触れられたり、教育者の新渡戸稲造らの若者・青年らが持つべき理想に向かうチャレンジ精神やフロンティア精神、自己形成といった様々な論考を通じて定着してきました。
日本以外の国では、例えば中国語ではそのまま青春と呼ばれ、おおむね日本同様の意味や ニュアンス で使われます。 英語表記としては年代 (若年層) と心理的な状態 (若さ・活力) を指す youth や youthfulness (若々しさ) がありますが、adolescence (思春期) や springtime of life、the springtime of one's life (人生の春) で表現することもあります。
青春の捉え方は時代や地域、文化によって差があり、雑 にくくると西洋では恋愛や友情といった人間関係を軸に個人の自我形成や自己実現、社会や大人への反抗や独立の時期として描かれることも多く、青春文学や青春映画といった ジャンル として同じ世代、ティーンエージャーに向けたものが人気を得ています (coming-of-age stories/ 成長物語)。 ちょっとしたロマンス (というより健康的で軽い エロ) とバイオレンス要素が散りばめられているのが特徴でしょうか。
一方、日本を含めたアジアなどでは、欧米などと同様の恋愛や友情、成長に伴う親離れなどを描く一方、家族との絆や社会的責任、立身出世といった道徳的な面が強調されることもあります。 ただし時代を下ると道徳的な面はやや後退し、むしろ抑圧からの開放といった面が強調されるようになります。 1947年に発表された石坂洋次郎さんの小説やそれを原作とする映画 「青い山脈」(1949年)、石原慎太郎さんの小説とそれを原作とする映画やテレビドラマ (「青春とはなんだ」 シリーズ) などの 学園もの で、より同世代にとって等身大で娯楽性に溢れた痛快な作風へとその変化が見て取れます。 仲間との友情は常に重要な テーマ ですが、恋愛や性の問題は時代を下るごとにより一層無視できない重要な要素と見なされるようになっています。
なお庶民が物語を娯楽や コンテンツ として気軽に楽しめるようになったのは、長い人類の歴史からすればつい最近のことです。 日本でも欧米先進国でも少し前までは子供たちも労働力の一部に組み込まれ、大人との対比でただの 「半人前」 みたいな扱いが当たり前でした。 もちろん庶民たちにもその時代なりの娯楽や楽しみ、あるいは思春期の悩みや葛藤はあったのでしょうが、現代の青春物語といったフォーマットがある程度確立し隅々まで広まったのは、国が豊かになり庶民も余暇時間が持てるようになったごく最近のことなのでしょう。 そう考えると明治時代の漱石が描く痛快かつコミカルな青春物語や谷崎の描く繊細さ、それを平易な言葉で綴った作品は当時としては極めて斬新で魅力的なものだったと云えます。
青春は誰にも等しく訪れるもの…しかしその内容は…
青春をどう捉えるかにもよりますが、誰だって生きていれば生まれてから年齢を重ねて青春時代と呼ばれる時期を迎えます。 とはいえ青春真っ只中の若者にとっては青春という言葉はどこか気恥ずかしく、またあまり実感を得られるものでもないのでしょう。 失って初めて 「ああ、青春だったな」 と過ぎ去った日々を懐かしむ中で生じる感慨こそが、個人が感じる青春の本体なのかも知れません。
一般に青春は年齢的には未成年とほぼ同義の扱いですが、不思議なもので過去のことは記憶の中で美化されがち (思い出補正) で、実際は年を取ると未成年だった頃のことはもちろん、大学生活とか社会人になったばかりとか、極論すると中年や高齢者になった後に数年前の自分の記憶が青春として残ることもあります。 例えば50歳の人にとっては、仕事をがむしゃらになってやっていた20代後半や30代前半も 「若い頃の自分」 として青春の甘酸っぱさを覚えますし、恐らく60歳や70歳の高齢者が50歳の頃を思い出しても、同じような感覚を得るような気がします。 年齢に関わらず、大病で身体の自由を失ってしまった後に、自由だった頃がそう思えることもあるかも知れません。
身体は加齢とともに衰えてきますから、衰える前の元気だった自分、お金はないけれど無限の体力と時間があるように感じられていた過去の自分の記憶は、それを青春という言葉で表現するかどうかはともかく、青春と同じ引き出しの中に仕舞われると云ってよいと思います。 「現在が一番若い」 とはよく云われる話ですが、何歳になってもその後何年か経てばそれなりに良い思い出になりますし、「もう年だから…」 と年齢を理由に何かを諦めてしまうのは、未来の自分に思い出を残せない、とてももったいない態度でしょう。
なお中学や高校あたりで胸ときめく異性とのあれこれとか仲間との語らいといった キラキラ した出来事がないか乏しかった人が、その当時味わった敗北感や羨望や嫉妬、孤独感ともども大人になって喪失感として抱える一種の トラウマ を 青春コンプレックス と呼びます。 また思い出したくないような暗い過去、恥ずかしい思い出は 黒歴史 と呼びます。 創作の分野では、過ぎ去った青春や思春期を懐かしむような 雰囲気 のある 絵 や状況を エモい (ほっとして癒されるような場合はチルい)、そうした絵や イラスト にありがちな色彩や画面効果を 思春期エフェクト、イラストそのものは 青春絵 などと呼びます。
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