平時からすでに戦争は始まっている…? 「認知戦」
「認知戦」(にんちせん) とは、ある国家や政治勢力が情報操作やプロパガンダ (宣伝) を通じて、対象とする国の国民や指導者らの感情や思考に働きかけて 認知 (認識) を 歪ませ、自分たちに有利なように行動をコントロールしようとすることです。 諜報機関による工作活動のみならず、官民を問わずあらゆる情報チャンネルを用い、誇張や虚偽の含まれた偽情報 (フェイクニュース/ ディスインフォメーション) を膨大に流し続ける攻撃手法を指します。
紛争中の敵国や仮想敵国に対する情報戦や世論工作は昔から、それこそ古代や中世の時代から存在します。 現代にあっては ネット、とくにグローバルな インターネット と SNS の普及、さらに近年の生成AI の登場と急速な能力向上により、大衆に向けた広範な工作も安価かつ大規模に展開することが可能となり、その影響力が極めて大きくなったといって良いでしょう。 軍事 における陸海空、および宇宙での戦いやサイバー戦、情報戦に続く 「第6の戦場」 とも呼ばれ、現代の国際関係において無視できないものとなっています。
一方、認知戦という言葉が広がるにつれ、この言葉を対立する意見封じのための便利なレッテルとして使いがちという部分もあります。 都合の悪い意見や情報をすべて 「敵が流した偽情報だ、認知戦だ」 で切り捨ててしまっては、建設的な議論もできなくなってしまいます。
超限戦と認知戦
しばしば認知戦に近接して語られる 概念 に、中国の人民解放軍大佐らの著書名に由来する 「超限戦」(1999年) があります。 国境はもちろんあらゆる境界を越える戦いを指し、軍事・非軍事、有事・平時、官・民の区別をしません。 武力攻撃に限らずサイバー攻撃や経済・情報戦、心理戦、法律戦などを駆使し、全方位・リアルタイム で膨大な攻撃を繰り出して相手の疲弊・麻痺を目指す戦いです。 いわゆる総力戦に似ますが、総力戦が主に開戦後や直前といった切迫した期間に限られ、かつ武力やそれを行使・維持するための物資生産・調達中心なのに対し、超限戦は平時から、より広範に行われる点が異なります。
日本は先の大戦以来80年間に渡って国権の発動たる戦争をしたことがなく、戦争とか軍事にリアリティを感じたり切迫する危機感を覚えにくい国です。 それは素晴らしいことですし世界に誇れるものでもありますが、そんな中でも主にネットを通じて 一般人 の誰もが平時にあっても標的にされ、あるいは望むと望まざるとに関わらず敵国の手先や道具として扱われかねないという点において、超限戦や認知戦はこれまでの戦いとは次元が異なる身近な戦いや脅威だと云えます。
平和 を愛し 理想論 を掲げる人たちは、独裁国家に対してさえ 「豊かになれば軍事的な野望を抱く必要がなくなる」「国家間の経済的な結びつきが強くなれば戦争など考えなくなる」「法やルールに基づく秩序が大切」「文化的な 交流 で相互理解」「対話が大切」 と繰り返してきました。 もちろんこれらが実現すれば素晴らしいし、そうなることに異論はありませんが、実際はそのほとんどが逆の結果になっています。
豊かになった独裁国は軍備増強にお金をつぎ込み、経済的な結びつきは資源やサプライチェーンや大きな市場を持つ大国が持たない中小国を従属させるための脅しに用いられ、強国が法やルールを破っても例外扱いされ、文化や対話も相手を屈服させるための道具として使うとまで宣言されています。 そもそも歴史を振り返ると文化が近くて交流が盛んな国同士で争う方が、そうでないケースより多いでしょう。 戦争が起こるか起こらないかは地政学的要素が大きく、もし文化や人の交流が盛んなら戦争が避けられるというのなら、第一次大戦も第二次大戦も、日清・日中戦争もウクライナ戦争も起こらなかったはずです。
だからといって相手の挑発に乗ってことさらに威勢よく対立姿勢を示すのは短絡的すぎるし相手の思うつぼですが、少なくとも 「そういうものだ」 という理解や知識と、それに粛々と備える心構えは必要なのでしょう。 理想論と現実的な対応とを両立させることこそ戦争を防ぐ力になるもので、「平和を守ろう」 みたいな自明のお題目を掲げて 祈って いるだけでは意味がありません。
ネット掲示板における工作員やステマ
かつてはネットの 掲示板 における情報操作や 工作員 の存在などは単なる ネタ や一部の極端な ネット民 の空想・被害妄想の産物であり、あると唱えている人は 陰謀論 に染まって現実と 妄想 の区別がつかない 頭のおかしい人 といった評価が一般的でした。 とくに北朝鮮やら韓国やら中国やらロシアからのそれを根拠なくことさらに疑う声は 「被害妄想に取り付かれたネトウヨの妄言」 扱いだったと言ってよいでしょう。
しかし各国の公的機関などから様々な情報戦・認知戦の疑いが報告されたり、独裁国家・権威主義国家らによる工作活動などが発覚し、その存在を疑う声は時代を経るごとに小さくなっています。 日本においても2024年から防衛白書でこの言葉が取り上げられており、むしろ 「認知戦などない」(ありもしない認知戦をでっち上げている陰謀論者がいる) という意見こそ何らかの背後関係もつ者の ポジショントーク や 党派性 に囚われて認知が歪んだ陰謀論者ではないのかといった正反対の認識も一部で生じています。
ロシアや中国によるものと思われる認知戦の存在
認知戦はその特性から、自由のない独裁国家や権威主義国家で多用されがちな傾向があります (後述します)。 代表的な例としては、2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻の過程でのそれがあげられます。 SNS に膨大な偽情報を流布して自国の正当性を主張するプロパガンダを行ったり、それを引用してロシア擁護を行うニュースサイトや個人を間接的に支援したり、民間人や外国人の自由意思によるロシア支持が広がっているような印象を浸透させるための取り組みが行われていたとされます。
これらは直接当該国に対して行うだけでなく、近隣諸国などを含めたより広範な範囲で大規模かつ長期にわたり、繰り返し執拗に行われているとされます。 とくにアメリカに対する大統領選への干渉は、2014年にロシアがクリミア半島を併合したあたりから大規模化し、顕著な例として2016年の 「ロシアゲート」 の存在が知られています。
これはアメリカの大手メディア主導で報じられた疑惑であり、物的証拠に乏しいこともあって長年疑いの域を出ない評価も様々なものではありましたが、ウクライナ侵攻後にロシアの民間軍事会社のトップが工作活動の存在を公に認めたこともあり、選挙結果に何らかの影響を与えうる規模の干渉があったのは間違いがないと見られることが多いでしょう。
一方、中国による台湾への認知戦も代表的な例としてあげられます。 対立する台湾の民主進歩党 (民進党) や民主主義体制そのものへの不信感や中国の強大さを 煽り、台湾人は台湾政府やその背後にいるアメリカに騙されている、中国に抗っても無駄だといった中国に有利な世論を形成しようとする動きが報告されています。 そもそも中国は対外的なネット工作機関を持っていることを公表しており、存在自体を疑う余地はほとんどありません。
知らない間に蝕まれる自由なネット言論空間
認知戦の恐ろしさは、その分かりにくさにあります。 攻撃のための 武器 は情報であり、軍艦とかミサイルといった分かりやすい形をしていません。 また情報そのものではなくその情報を処理する 「人間の心」 がターゲットであり、被害状況も目に見えません。 目的は相手国の世論を分断・誘導し、政治的な意思決定を麻痺させたり、自国に都合のよい方向へ変えさせたりすることですが、自国に不利になるような情報もあえて流しますし、一見政治だの軍事だのとは無関係な話題にも干渉するため実体が分かりにくいのが 厄介 です。
個別の施策自体は伝統的なプロパガンダや既存のサイバー戦や情報戦、心理戦と重なる部分もありますが、認知戦は脳科学や認知心理学の知見を取り入れて人間の認知により深くコミットしますし、ビッグデータなどを使った情報分析も駆使して人の思考や大衆の行動 パターン を予測し、より科学的かつ体系的に判断や感情を操作しようとする点に特徴があります。 これらは国家によるプロパガンダ技術のみならず、資本主義社会における ビジネス の世界での広告や プロモーション の最適化を目指して磨かれてきた技術も含むものであり、しかもそれを取り入れるのではなくシステムごとそのまま利用する点も大きな特徴でしょう。
手法としては、嘘や不確かな情報を SNS などで大量に流布したり、自分たち以外から発せられた偽情報を評価したり 拡散 したり、メディアやネットで影響力を持つ有識者や インフルエンサー らを通じて特定の価値観やイデオロギーを植え付けるプロパガンダの発信をするなどがあります。 また特定の社会集団間の 対立を煽っ てギスギスとした世論を作って社会を弱体化させることもあります。
日本の場合、「日本語」 という言葉の壁から、英語圏に比べるとその影響は限定的と考えられてきました。 2000年代あたりのネット掲示板でも明らかにおかしな日本語での世論誘導的な 書き込み はありましたがどこか胡散臭く感じられ、スルー されたり 叩かれ たりと認知しやすいものでした。 内容も 「日本は過去の歴史を反省しろ」 みたいな内容で、その意見が広がると誰が得をするかで容易に書き込んだ人の 属性 が予想できるものでした。
とりわけ 2ちゃんねる (現:5ちゃんねる) といった匿名系掲示板の一部の 板 では、嘘や 釣り、なりすましや 自作自演 を含めて怪しげな レス がとても多く、参加者らの ネットリテラシー が試され、また鍛えられた部分もあります。 それでも ステマ などが話題になったこともありますから完全に防ぐのは難しいのですが、そもそも掲示板の影響もまだまだ限定的でした。
しかし SNS の時代となりネット利用者が増えたり AI の活用が進んだことで、状況は一変。 偽情報生成や自動化された bot (ボット) による拡散といった手法がより大規模に用いられます。 例えば ツイッター (現:X) や YouTube に大量の アカウント を作って特定の意見や ハッシュタグ を拡散して世論を誘導したり、YouTube 上で捏造・改竄した 動画 を流したり、流れている動画に コメント をつけたり削除したりで (コメントデザイン)、視聴者 の不安や疑念を煽ったり誘導するなどです。
ネットがない時代は大衆に向けて情報発信する手段は新聞社やテレビ局ら大手メディアに限られ、工作員やその協力者を送り込んでメディア関係者らと接触するといった直接的な 「危ない橋」 を渡る必要がありました。 しかし SNS の時代は個人や個人に近い業者が数多く情報発信をし、対立を煽ってアクセスやインプレッションを稼いで利益を得る構造が出来上がっており、これを利用するだけである程度の世論誘導ができてしまいます。
利用方法も、当事者に対して情報発信を依頼するとかそのために報酬を払うといった直接的な方法を取らずとも、それらの情報を扱う ホームページ に広告代理店を経由して アフィリエイト の広告費としてお金を出す、bot を使って自分たちに都合の良い意見を バズ らせるという間接的な方法が可能となっています。 広告費を得たりバズった人はまたお金やバズが得られるように同じような意見を勝手に 投稿 してくれますから、関係者と直接コンタクトを取る必要すらありません。
自由や多様性があって人々の耳目を集めることでお金が稼げる国ならば、単なるバズ目当ての 逆張り を含めて自分たちに都合の良い意見を発信する人は必ずいます。 SNS や 動画サイト といったプラットフォームのアルゴリズムは情報の信頼性よりも利用者の好みに基づくアクション (クリックとかいいねとか シェア、コメントなどの反応・エンゲージメント) を優先して目立たせる傾向が強く、それが個人や業者の金儲けや 承認欲求 を満たす元にもなっています。 結果的に論争を呼んだり 炎上 を招くような極論が認知戦の効果を増幅させる要因となっていて、それを最大限活用するというわけですね。
一部では スパム の配信や詐欺を行うグレーゾーンの IT 業者による極論による注目集め (バカスクリーニング)、ウイルス やハッキング (クラッキング) を利用したネット犯罪 グループ との悪夢のような 共演 すら見られます。 これらネットを使った詐欺業者やクラッキンググループも、その多くがロシアや中国を拠点としています。
検閲・情報統制当たり前の独裁国と自由な国とでは、もはや勝負にならない
認知戦はどんな体制の国にあっても存在しうるものですが、表現の自由 や思想信条の自由がある民主主義の国と、一党独裁・言論弾圧や検閲当たり前の国とでは、執りうる手段も与えられる効果も、少なくとも短期的に見れば全く比較にならないほど後者に有利に働くものでしょう。
日本のように自由がある国は、情報の流通が誰に対しても開かれているため多様な意見が発信されますし、独立メディアが数多く存在します。 ネットも世界中から接続できます。 結果、脆弱性が生じやすく、つけ入るスキも大きいでしょう。
どれほど偏った意見でも思想信条の自由でそれを制限することはできませんし、反論を封じることもできません。 検閲などしようものなら憲法違反です。 厳しいのは 児童ポルノ や わいせつ表現 くらいで、あとは利用者の多いネットサービスの多くがアメリカ事業者のため、そこではアメリカ的な表現規制 (性的・差別的表現といった センシティブ な扱いを受けるもの) が少々キツイ程度です。 そして何より世論や民意が選挙を通じて政治に反映もされる民主主義体制です。
一方、言論や思想の弾圧、検閲が常態化した国は、国家が情報発信と統制を中央集権的に掌握できるため、都合の悪い意見は意見どころかそれを発信した人物や組織ごと消すことができます。 ネットの制限や遮断も当たり前で、国内向けには疑義や混乱を抑えた整合性のある世論を維持でき、海外向けには議会の承認も開示する必要もない国際的に見たら非合法の工作活動が行えます。 また 人権 は軽視されまともな選挙も行われないため、世論を誘導しても民意が政治体制に与える効果は極めて限定的です。
自由の下で認知戦に抗するには透明性や事実確認の強化、国民やネット利用者の メディアリテラシー 向上が必要ですが、これらは時間とコストがかかり即効性に著しく欠けます。 経済活動やそのための広告・プロモーション活動を制限することも難しく、その結果、検閲・規制国家は迅速的かつ一貫した世論形成で短期的には圧倒的有利になり、自由を重んじる国は分散した情報空間ゆえに一方的に分断されたり劣勢に立たされやすくなります。
長期的には自由な情報環境の回復力と信頼性が優位性を持つでしょう。 恐怖や嘘で塗り固められた政治体制はいずれ自滅するのは歴史が示す通りです。 問題はリテラシーを行き渡らせるまでの間に、どれだけの一方的攻撃や被害を防げるかでしょう。 現状では独裁・権威主義国家のやりたい放題に近く、そもそも人々にリテラシーをあまねく行き渡らせることが果たして可能かといった問題もあります。 だからといって表現の自由を放棄するなどあってはならないことです。 ここに深刻なジレンマがあります。
認知戦特有の弱点と、リテラシーを高める努力
だたし独裁国の認知戦にも弱点はあります。 とくに大きなものに 「効果判定の難しさ」 から生じるあからさますぎる工作の排除が難しい問題があります。 上部組織が下部組織に認知戦を行うよう命令をしたとして、どのように工作をしたか、それがどう効果を得たかを実証するのは難しく、結果的に認知戦の実行者らが工作の痕跡を意図的に残そうという動機付けとなっているのですね。
現在の生成AIなら、ある程度日本語に知見のある人ならば完全な日本人 (日本語話者) に なりきっ て、さりげなく工作をすることも不可能ではありません。 まともな日本人の多くは極論やキツすぎる罵倒を嫌いますから、穏当で自然な意見誘導の方が効果が高いでしょう。 しかし完全になりきってしまっては 「ちゃんと私が工作しましたよ」 という証拠になりにくいでしょう。 そこであえて日本語の一部に不自然な点を残したり、特定の表現をキーワードとしてやたらと用いたり、いかにも工作っぽい過激な表現を行いがちです。
ロシアや中国の外交官らが世論工作としては逆効果にしかならないような極論を発したり、一部のおかしな市民団体がわざわざ外国語の入った横断幕を掲げてデモ行進をしてはしばしば批判に 晒され ますが、これも同様の動機に基づくものが少なくないでしょう。 独裁国家の下部組織の構成員やその協力者らにとっては実際に効果があるかどうかなどはどうでも良く、ただ上部組織から 「ちゃんとやってる」 と認められれば保身のためのアピールになるので、これは当然です。
認知戦は有事と平時の境界を曖昧にし、情報が氾濫する現代社会において、私たち一人ひとりが情報の真偽を見極める、それが無理なら少なくともよくわからない情報を安易に信じない、拡散しないという初歩的なリテラシーを高めることの重要性を一層高めています。 とくに断定的な意見や極論は、幾重にも疑いの目で見る慎重さが大切なのでしょう。 これは何も、認知戦に抗うとか敵国に負けないといった大きな話ではなく、自分の信用を守るためにも大切です。





