Masashi Tashiro loves TIME … 神のイカズチ 「田代砲」
「田代砲」 とは、一種の 「DoS攻撃」 用連続投票スクリプトです。 世界最大の匿名掲示板群である 「2ちゃんねる」 内で 2001年12月末に1号機が、及び翌 2002年4月末に様々な改良型が開発され、そのまま配布・実戦に用いられたものです。
ネット投票で決定、選出者が表紙を飾る米 TIME 誌の 「今年の人 (PERSON OF THE YEAR)」(2001年)、「アジアのヒーロー (Asian Heroes)」(2002年) 各1位に、「盗撮」 や覗き、覚せい剤所持で逮捕された同名のタレントを押し上げる為に 「にちゃんねらー」 たちによって一斉発動されました。 「田代砲」 名称の由来、語源は、もちろんこのタレントの名前からです。
参加人数が余りに多かった事 (当時 「2ちゃんねる」 内 では 「田代祭り」 として異様な盛り上がりを見せていました) や、また連続投票に使われた 「田代砲」 の威力が余りに高かった為、最終的には TIME 誌サイトのサーバをシステムダウンさせる事にもなってしまい、ちょっとした社会問題にもなってしまいましたが、幾多の伝説と共に語り草となっている兵器ですね。
田代祭の主砲として活躍
当時のお祭りの文脈から云えば、まぁ悪ふざけの組織票ではあったものの、別に 「田代砲」 でもって TIME 誌サーバをダウンさせてやろう的な 「DoS攻撃」 を意図したものでは全然なかったのですが、盛り上がりと投票ツールの威力とが相乗効果をもたらしてしまったって事なんでしょうか…。 2002年4月のアジアのヒーローの投票の際は、締め切りが迫るや 「超田代砲」 と呼ぶより攻撃力の高いスクリプトも出回りましたしね (サーバ落としたら元もこもないと、参加者同士で使用自粛の取り決めがありましたが)。
ちなみに投票結果は、TIME 側によって数度に渡る削除、リセットを繰り返しつつも、2位以下に圧倒的な差をつけて同名タレントが1位になりましたが、米 TIME 誌の判断によって 「なかった事」 にされてしまいました。 確定順位は、1位に Osama bin Laden、以下 George W. Bush 米大統領、Mayor Rudy Giuliani ニューヨーク市長、ニューヨーク市消防本部や同市警察職員らのレスキューチームとなっています (「今年の人 (PERSON OF THE YEAR)」)。
なおこの 「田代砲」 はその後も、前述した 「超田代砲」 や 「田代砲 (改) (攻撃力と実用性のバランスが取れていると評価が高い)」、「拡散田代砲 (余りに強すぎて作者自粛により未公開)」、「多連装田代砲」、「神田代砲」、「メガ粒子田代砲」、「田代ギガ粒子砲」 などなど、数多くの改良パワーアップ版が登場しています (「あゆ砲」 や 「97式アラファトマシンガン」、「川崎砲」 なども)。 またワンクリック詐欺サイトを砲撃するためのゲイツ砲 (田代砲とは出自の違う、アメリカ産の砲撃兵器を日本語化したもの) などもあります。
これらを総称して 「田代兵器」 と呼ばれていますが、ただしあまりに攻撃力のあるものは、相手サーバだけでなく投票者自らが利用している 「プロクシ」 サーバを道連れに落としてしまったりして、いわゆる 「自爆」 な結果を招くケースも多いようです (「サテライトキャノン -TASHIRO-」 など)。
遊び半分で田代砲を使うと普通に捕まります
さて、かような経緯があって生まれ、広まった 「田代砲」 ですが、現在は迷惑な SPAM メール、ジャンクメールの送信を繰り返す悪徳電子メール広告業者への純粋な 「DoS攻撃」 用武器として使われていたりもします (「神田代砲 迷惑メール訪問版」 などの特化型決戦局地兵器も)。
法的には問題のある 「DoS攻撃」 ですが (「電子計算機損壊等業務妨害」 などで、相手が告訴すれば罪に問われます)、う〜ん、こういう使い方なら、個人的にはヨシかな…とか思ってしまいます (相手も違法行為を繰り返している上に、迷惑メール、あたしも大嫌いですから…)。 ただし悪徳業者相手とは云え一種のリンチになる上に、悪徳業者の利用しているサーバがごく普通のレンタルサーバ屋さんだった場合は、利用しているその他のユーザにも迷惑をかける事になる訳で、この手の問題の解決の複雑さを感じますね。
田代砲と田代祭りとは何だったのか
なお 「田代祭り」 自体の善悪は…何とも云えませんねぇ。 品のある行動とも云えませんし、ネットを使った不特定多数による情報リンチだ…と云う側面も確かにあります。 あるいは日本の恥を世界に…とか。 筆者個人も自分でやろうとは思わないのですが、しかしあそこまで盛り上がるには、それなりに理由がありましたし、例えば何ら法的な権限なく一般市民に対してワイドショー等が日常的に行なっている類似行為は社会的に許容されていて、一般市民が有名人を対象にそれを行なった途端、人権を盾に、したり顔で一方的に批判されるのもどうかと思います。
そもそも 「田代砲」 の語源となったタレントさん自体、 単に有名人と云うだけでなく、過去にテレビ朝日系列のニュース番組 (「スーパーJチャンネル」 金曜枠/ 1997年3月31日〜1998年4月3日/ 17:00〜19:00) にキャスターとして登場していた時期があり、一般人の犯罪をあれこれ論評する立場にいましたし。 結局のところ、「こういう時代なんだ」 って事に、なってしまうような気がします…。
実際のスクリプトは…
ところで 「田代砲」 の実際のスクリプトですが、全体では僅か数行程度の簡単なものです。 使い方も簡単ですし、スクリプトそのものはもちろん、詳しい導入方法を説明した文章も、コピペ素材として完成したものが 「2ちゃんねる」 内でいくつも出回っています。 また 「発射砲台」 をフリーHPスペース上に設置している場合も多く見かけます。 ここに引用するのもなんなんで、興味のある方は検索サイトで調べてみれば、すぐ見つかると思います。 もちろん、くれぐれも悪用しませんように…。
なお威力を落とした 「田代砲」 で、全然アクセスカウンターが回らずしょげている友人のサイトへ訪れるのは、どうやら良いことになるらしいです。 まぁあんまり急にカウンターが回ると、怖くなったりしてサイトを畳んでしまう人も多いので、諸刃の剣なんですけどね (やっぱりこの使い方も駄目かもw)。
ゲイツ砲・アパッチ砲…次々とデビューする新兵器
ある意味素朴な初期の 「田代砲」 や 「メガ粒子」 などの派生兵器と打って変わって、新しい砲撃兵器も次々にデビューしています。 とりわけ 「アパッチ砲」(アパチェ砲 (Apache Jmeter) と呼ばれるような種類のものは、これまでの単純なスクリプト兵器と違い、通常は非常に高価でプロが使うような負荷テストツール類を転用し、かなり高度な (ただし他のフリーウェアツールの転用なので費用も安く導入方法も簡単) 攻撃を仕掛けるケースも多いようです。
また2008年12月になり、さらに強力な 「ハイピング砲」 なども登場しています。
その後の田代さん
この 「田代砲」 の解説ページは2002年に作られました。 当初は解説で元ネタとなったタレントさんの名前を伏せたり、容疑者名義になったりもしましたが、2008年9月以降は状況が大きく変化。 以下はその後の 「田代砲」 を巡るあれやこれやです。
田代砲で祝砲…? 元タレントの公式サイトやブログに膨大なアクセス数
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| ご本人の公式サイト |
その後このスクリプト兵器の元ネタとなったタレントさんは、事件を繰り返し、3度目の逮捕の後に実刑で服役。 しかし 2008年6月に3年6ヶ月の刑期を終え、全ての罪を償って無事出所。 社会復帰後は才能を活かした雑誌連載やトークライブの開催などで活動を再開しています。
そのすぐ後の同年8月14日には、本人が書いたかのような内容の 「人生のズンドコにいるあるおとこのブログ」 と題した 「偽サイト」 が出現、9月になってネット界隈で大きな話題となり、それを受けた形で翌月10月29日には公式サイトと公式ブログを正式に立ち上げました。
本人の顔写真の背後には、「ネ申降臨」(神降臨) の大文字。 このセンスの是非、評価は分かれるところかも知れませんが、大手ポータルサイトやテレビなどで紹介されたこと、何より 「祝砲だ」 とばかりに 「田代砲」 を撃つものまで現れ、アクセス数はわずか1日で100万アクセスに迫る勢い。 ニュースサイトで 「田代サイトが田代砲でサーバダウン」 と報じられるなど、話題となりました。 冷やかし半分もあるとは云え、依然高い注目と人気を得ているようです。
2009年4月1日、ニコニコ動画で 「田代砲」 を語る
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| ニコニコ生放送に 田代まさしさんがご出演 |
その後田代まさしさんは、2009年4月1日、エイプリルフールに 「ニコニコ動画」 の 「ニコニコ生放送」 の企画、「ネ申降臨!田代まさしがニコニコ動画にやってくる!」 に出演。 「2ちゃんねる」 の元管理人ひろゆき氏とトークを行いました。
その席上、「田代祭り」 や 「田代砲」 について語り、「知ってるよ」 と、祭りの経緯や米 TIME 誌の投票などについてジョークまじりに詳しくコメント。
ひろゆき氏に 「田代さんが亡くなって100年後になっても、多分田代砲って名前は残るんじゃないですか」 と水を向けられると、「そういう意味では、なんだかんだいって、田代という名前をつけてもらったのは嬉しい」「注目してもらってるってことだから」 と、テレビで活躍していた時と同じ軽妙な語り口で述べていました。








