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ネットにおける自分の分身…「アバター」

ネットにおける自分の分身 (同人する子)
ネットにおける自分の分身 (同人する子

 「アバター」(Avatar) とは、ネット の各種サービスにおいて利用者・ユーザーの分身・目印・シンボルとして扱われる キャラクター のことです。 多くの場合、その利用者の アカウントプロフィール の部分などに、自画像や アイコン などの形で表示されたり、サービスの中で動けるキャラクターとして機能します。

 利用するための方法はサービスによって様々ですが、おおむね自分で作成・用意した 画像 やキャラクターのデータなどを自分で アップロード して 設定 するものと、サービス側で用意した画像や イラスト、パーツ類を選んだり組み合わせてカスタマイズする形で設定するもの、およびその両方を兼ねたパターンが多いでしょう。

 うちサービス側で提供されるものの場合、カスタマイズのためのパーツ (服や アクセサリー など ドレスアップ のためのパーツ) を一部有料・課金 が必要な アイテム として販売している場合もあります。

 SNSネットワークゲーム (ネトゲ)、あるいは チャット・VRChat、メタバース (仮想世界) などの識別された個人利用者が集まって交流を図るサービスと相性が良く、利用者とアバターそれぞれが密接に 絡み合って、例えばアバターとしてゲームをする、アバターだけでなくアバターが住む部屋や家、さらには街なども用意して他の利用者のアバターと行き来をするなど、文字通り利用者のネットにおけるコミュニケーションの分身としての役割を果たします。 また家や部屋、その中に置く家具を選んだり、外観のカスタマイズがアバターを引き立てる小道具として行えるケースも多いでしょう。

 なおアバターを積極的に使いたい層と、単に自分の顔を出したくない層とがいて、後者の利用法はたまたまアバターっぽい何かを使っているだけであり、両者の温度差はかなり違います。 一概には云えませんが、若い世代ほどアバターを分身として尊重するような意識の人が多く、年長者ほどこだわりが少ないような気がします。 しかしその一方で権利関係の意識は若い人、とくに若年層は希薄で (これは止むを得ない部分もあります)、そこらで拾ってきた画像の無断転載や盗用による トラブル なども多いと云えるかもしれません。

時としてリアルな他人との関係性を超えるアバター同士の関係性

 どんなアバターを選ぶかは人それぞれですが、現実の自分の個性に合わせるタイプと、自分の好きな姿を選び自分のふるまいをそれに合わせるタイプの大きく2種類があるかも知れません。 後者の場合は なりきり と呼ばれ、アバターになりきった演技をする使い方となりますが、時間を経るにつれ両者が一体化し、なりきりから本物になる場合もあります。 ただしリアル社会の自分に越えられない壁 (例えば性別など) がある場合、ネットの中だけの個性として、ネット〇〇といった形で表現されることもあります。 例えば男性が女性の言動を行い女性を装おうのは ネカマ (ネットオカマ) などと呼ばれることも多いでしょう。

 アバター同士で友人や親友関係になったり、兄妹や親子関係を結んだり、さらには恋愛関係に至って交際する、同棲する、結婚 するといった行為も 普通に 見られます (その際、中の人 の年齢や性別はあまり関係がありません)。 サービス内でそれらを明示的に実現する機能が実装されている場合もあれば、利用者同士が様々な方法でそれを 疑似的 に行う場合もあります (自分たちだけの秘密として 共有 したり、周囲にアピールするなど目的も様々)。 サービス内に美しい景色の場所が行き先として作られたり、お祭り や花火大会といった イベント が行われる場合も多く、アバターとなって旅行やデートをしたり、スクショ機能やその保存機能で記念写真が撮れたりと、思い出作りだってできるでしょう。

 とりわけボイチャ (ボイスチャット機能) があるサービスなどでは、リアルな恋愛と精神的にさほど変わらないような濃密な関係性が生じたり、それがリアルな関係性 (例えば ネット婚) に発展することもあります。 親友関係とか恋愛関係が必ずしも人との関係性のピーク・頂点となるわけではありませんが、どちらかの相手への熱が冷めたり、仲たがいして別れることになるとどちらかがそのサービスに居られないような状況になりがちなこともあり、意図的に関係性の高まりを避ける人もいます。

 なお疑似的な性行為を行うことは、とくに 「見抜き」 と呼ばれます。 お互いに会話を交わしつつ、画面でアバターを見ながら 抜くオナニー をする) という意味になります。

「なりたい自分になる」 アバターの役割

 心理学の世界では、人が持つ外的側面、あるいは社会的な仮面を、演劇で役者が用いる仮面に喩えて 「ペルソナ」 と呼びます。 解釈 はいろいろありますが、こうした概念は意識的あるいは無意識に社会的適応を図るあまり外向きの外面と内面が乖離して苦しんだり、外面の社会的適応ができずに周囲と軋轢が生じるなどの問題や課題を考える、ひとつのヒントになるでしょう。

 例えば男性が女性キャラのアバターをペルソナとして使う場合、内面の女性っぽさが表に出ていると考えることもできますし、内面は男性だけど単に女性キャラが好きだから表面を女性にしているだけ、あるいはネットの世界では女性キャラの方が注目を集めやすいからそうしているだけなど、様々な理由があるでしょう。 またそれを選ぶにあたって熟慮や試行錯誤がされる場合もあれば、ほとんど無意識・感覚的に選んでいる場合もあるでしょう。 もしかしたら特定のサービスでは女性アバターを選び、別のサービスでは男性アバターを選ぶ場合だってあるかもしれませんし、人物アバターではなく動物や植物、無機質の道具かも知れません。

 なぜそのアバターを自身のペルソナに選んだのか、他人がその理由をあれこれ想像したり分析したり、それを揶揄・批判的に述べたりするのは 「失礼」「大きなお世話」 ですが、自分の場合を自分で考えるのは、ある意味で深く自分を考え探ることにもなるのかもしれません。 そのアバターが自分にとって 「着ぐるみ」 なのか 「コスプレ」 なのか、あるいは 「化粧」 なのか 「自分自身」 なのか、関わりの濃度は人それぞれです。

 またアバターを選びその姿で活動したり発言したりを積み重ねることで、いつしかアバターと内面が共鳴し、ある種のアイデンティティが生まれることもあります。 強い共感や感情移入によって他者との間に疑似的なアイデンティティや一方的な仮託が醸成されることもありますが、自ら選んだ、あるいは自作したアバターと自らの言動を共有・一体化した場合は、それがより強固に結び付けられ、個性として分かち難い存在となる場合もあるでしょう。

「理想」 を目指すか、手が届かない 「ささやかな普通の姿」 を求めるのか

 アバターは自分が好きなものを自由に選ぶことができます。 理想的な ヒーローヒロイン の姿に憧れる人が自らをそれに近づけられるのはもちろん、一般にはごく平凡でささやかな当たり前の存在にすら手が届かない人にも、その人が望む 「普通の姿」 への可能性だって開かれます。 それは時として大きな勇気や慰めを与えてくれますし、それによって人生に光が射したという人を 筆者 は何人か知っています。

 人は自分の容姿や性別、年齢、障碍の有無といった肉体的・外見的な 「あるべき姿」 が他にあっても、それを自分で決めて身に着けるのは難しいものです。 現代では美容整形や性転換、障碍者の自立支援機器など、外科的手術や機材である程度それを手に入れることはできるかもしれませんが、誰にもできるほどハードルは低くなく、また完全でもありません。 実社会ではありのままの姿を受け入れつつも、アバターはネットの世界においてのみとは云え、「なりたい自分」 を手軽にまた完璧に身にまとうことができます。

 もちろん手軽なのは最初だけで、実際それを何年、何十年と維持するのは努力が必要ですし、「たかがアバター」「しょせんネットの中だけだ」 と思う人がいれば、アイデンティティとしてかけがえのない存在だと感じる人もいます。 自己実現の手段も人それぞれです。

 多様性が重んじられ、自分らしさやあるべき姿の様々な形、なりたい自分を希求することなどに寛容さが求められ、また人を容姿で判断すること (ルッキズム) が厳しく批判される現代、他人のアバターやアイコンを面白おかしくことさらに揶揄や罵倒の対象とするのは、不見識を通り越して差別的な行為だと感じます。 それは表面に出ているその人の内面を嗤い踏みにじることと同じであり、偶然の要素が極めて強い生まれつきの肉体的外面を嗤うよりも時として醜悪で罪深く救いのないものです。

 一部の バーチャルアイドルVtuber といった バーチャル (仮想) な世界の分身に対する反応などもそうですが、創作物だ架空のキャラだ だと思って他人のアバターやそれを使った表現を安易にいじったり キモイ などと嘲笑したり侮蔑するのはやめましょう。 それは一部の人に対して、ほとんど人格否定と同じ行為です。

 なおしばしばアバターの造形に、あまりに理想的な容姿が選ばれることで、「ルッキズムに囚われた価値観であり、またそれを助長するものだ」 との話もありますが、個人が自分の姿にどういった理想を求めるかなどは、徹頭徹尾個人の自由の話です。 またルッキズムが批判されるのは、生まれつきの容姿といった遺伝や病気、事故、障碍といった、本人の意思だけではどうすることもできない部分が大きい外面的要素で人の優劣を判断するからであり、自分の意思で好きなものに変えられるアバターをルッキズムの観点で批判するのはいささか的外れでしょう。 むしろ前述したように、アバターの表面だけを見て批判する方がよほどルッキズムに囚われていて批判されるべき態度です。

生物としての自分との向き合い方

 理想的なアバターと一体化することで精神的な充足感やネットにおける居場所が得られても、自分本体は人間なのでご飯を食べなくてはなりませんし、そのために収入を得る必要もあります。 ネットの世界でのみ活動してそれ以外のリアル部分がおざなりとなると生活ができませんし、家族や他人に迷惑をかける場合もあるでしょう。

 昔と違い今はネットで収入を得ることも可能な時代ですが、安定した生活を実現するにはかなりの努力や運と、技術に対する最低限の好奇心が長期にわたって必要です。 アバターに頼り切って 引きこもりニート となり生活が破綻しても困りますから、どこかでリアルな社会生活と両立させる線引きは必要です。 単なる目印・表札としてアバターを使うのなら別ですが、そうでないのなら、この距離感の掴み方が幸せなアバター生活のキモなのでしょう。

「文字」 による表現は 「ハンドル」 などとも

 画像やキャラクターの形ではなく、文字で利用者をあらわすものは、ハンドルネーム (特定のハンドルに固定したものは コテハン) と呼びます。 パソコン通信 の時代は原則文字しか使えませんでしたから、当時はハンドルこそがアバターとして機能するものでした。 現在もサービスによってはハンドルのみの場合もありますが、アバターやアバターが描かれたアイコンとハンドル (利用者名) をセットで使い、他の利用者と区別することが多いでしょう。 それらがないものは匿名や名無し、あるいはアノニマス (Anonymous) や増田 (アノニ増田) と呼びます。

アバターの語源は…?

 アバターの語源は、サンスクリット語のアヴァターラ (Avataara) からであり、インド神話や仏教における 「神や仏の化身」 の意味から来ています。 化身 (肉体) ですから神や仏そのものではなく、また言葉に 「下る、転落、至る」 という意味もあるため、一般には 「死のある肉体へ下る」「現れる」 との意味となります。 一般でも使われる言葉では 「降臨」 とか 「権現」、あるいは 「世を忍ぶ仮の姿」 みたいな意味になります。

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(同人用語の基礎知識/ うっ!/ 2007年10月27日)
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