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痛い車だから 「痛車」 アニメやマンガがボディに描かれた車です…

 「痛車」(いたしゃ) とは、「見ていて頭が痛くなる車」「アイタタタ…」 なドレスアップをした車のことです。 具体的な仕様は、ボディに マンガアニメゲームキャラクター (もっぱら美少女キャラ) が大きく描かれているクルマとなります。

痛車参考イメージ
「痛車」 の参考イメージ

 それ以外は完全に ノーマル (無改造) というクルマもあるにはありますが、車好き、メカ好きな走り屋も兼ねた人が多いのか、アルミホイールやタイヤに凝っていたり、エアロパーツ類を装着したり、マフラーやエンジンまでチューンナップしている場合もあります。

 なおそれ以前は、おたく の車で 「オタク車」「オタ車」 とか、「ラッピングカー」 などとも呼ばれていましたが 「痛車」 に関しては、「オタクっぽい車(オタクっぽい人が乗っている車)」 ではなく、「アニメやゲームのキャラクターが大きくボディに描かれた車」 と 限定 して使うケースが大半です。

 初期の頃は内装中心の 「オタ車」 と 「痛車」 の区別はあまりなかったようですが、車体にキャラの描かれた ラッピング系 のインパクトはあまりに強く、2000年以降はもっぱらそちらの呼称として広まっています。 また 「萌え車」(萌車) などと呼ぶ場合もあります。

「痛車」 の語源はそのまんまですが…

 痛い発言や行動を取る人を俗に 痛い人、痛いやつ、などと呼びますが、「痛車」 の場合、それがそのまま車のドレスアップに使われている訳ですね。 イタリア車のことを俗に 「イタ車」、ご飯を 「イタ飯」 などと呼びますが、これと同じように語感がとても良いので、「痛い車」 などと呼び方をほとんど経由せず、最初から 「痛車」 として言葉が作られ広まったようです。

 なお直接の語源としては、そもそもイタリア車の略称 「イタ車」 のことを 誤変換当て字 で 「痛車」 と書くケースがかなり昔からありましたので (ドイツ車なんかに比べると故障しやすく懐に痛い、あるいは乗ってるオーナーにいけ好かない勘違い君、痛い人が多い…みたいな感じで揶揄する表現で、パソコン通信 や 一部の車雑誌などでもシャレで使うようになっていました)、直接の関係は薄いのでしょうけれど、車好きの人が集う掲示板で使い方や意味が混ざりながら独自の 解釈 になったのかとも思います。

 ただし、現在の意味での使われ方の 「痛車」 は、2002年から2003年頃に インターネット掲示板 などでチラホラと出てきています。

カッティングシートの時代、エアブラシの時代、プリンタ出力の時代…

 実は 「痛車」(萌え車) 以前に、アニメやマンガのキャラをボディに描いた車は、大昔からありました。 いわゆる 「暴走族」 の乗る 「族車」「ゾク車」(シャコタン/ ヤンキー車/ ヤン車) というやつですね。

 1970年代にはロック歌手 矢沢永吉のロゴ、「E-YAZAWA」 をデカデカとボディにペイントしたシャコタン車が土曜の夜の集会あたりに参加してましたし、永ちゃんの独特なステージアクションを2階調の切り絵のように描いた意匠もありました。 リアシートのカバーとして、ヤザワのロゴ入りタオルをかけるのも 定番 でした。

80年代、人気ロックバンドやヤンキーマンガのカッティングが流行

 初期の車のボディへの意匠の転写はペイントなどもいましたが、後に簡便なカッティングシートが登場、一般に広まります。 大きな色つきのシールのようなもので、建物の窓ガラスなどに会社名を入れたり、航空機などのボディにデザインや模様をつけるためのものでした。 族車に乗ってるような人は内装業や建築関係についている人も多く、こうしたカッティングシートは手に入りやすかったのかも知れません。

 またレーシングカーの真似としてのステッカー類の貼付やゼッケンナンバーの貼付などもありましたから、それ以前からお手軽ドレスアップに車体に何かを貼り付けるというのが広まっていたこともあります。

 それ以前、あるいはその当時の主流の車のドレスアップと云えば、車高を落としフェンダーを膨らませたり太いタイヤを履いたり派手な色に全塗装したりでしたが、後に 「ホワイトシンドローム」 とも云われる 「真っ白な車」 の大ブーム (いわゆる 「ハイソ・カーブーム」) が1980年代に巻き起こります。 そのきっかけは 1981年に発売されたトヨタ・ソアラの大人気と、まばゆい 「スーパーホワイト」 のボディーカラーでした。

 それまでの 「カッティングシートなどの貼り付け物のドレスアップ」 といえば、せいぜいステッカーかレーシングカーの真似のゼッケン番号くらいだったのが、この頃から簡単なエアロパーツの装着をして、あとは 「大きな図案を窓ガラスやボディに描く」 に主流が変わって行きます。 この頃に、出っ歯、竹やり、ワークスの、いわゆる 「チバラギ」 と呼ばれる極端な改造車も存在していましたが (フェンダーを切ったり、ボディに穴をあけるなど大きな改造が必要)、その手の雑誌のグラビアならともかく、さすがに実際に作って乗り回すような人は少なかったようです。

エアロパーツもカッティングも、取り外し自在

 カッティングシートによるドレスアップが流行った理由のひとつには、高級車のボディを切った貼ったで後戻りできない改造はしにくい…カッティングなら剥がせば元通り…というお手軽さ、「真っ白なボディ」 のためにカッティングが映えるというメリットもありました。

 昔ながらのシャコタン乗りには 「根性 のないただのカッティングチューンだ」 などとバカにされることも多かったのですが、このドレスアップ方法は当時の若者にとても流行りました (白いものをブラックウィンドウにした窓ガラスに貼るのも流行りましたね)。

 カッティングシートを貼った時に模様やデザインがでるように自在に切ってキレイに車のボディに貼るのは結構技術がいり、また費用もそれなりに掛かるものでしたが、なんといってもお手軽なので、この方法のドレスアップはすっかり定着。 今ではどこのカーショップに行っても置いてある定番ドレスアップ素材のようになってますね。

銀蠅、BOØWY、そして湘爆、ビーバップ、ホットロード…

 当時の車乗りはこうしたテクニックを使い、1979年デビューの 「THE CRAZY RIDER 横浜銀蠅 ROLLING SPECIAL」 と1980年代のツッパリブームの頃には、銀蠅のレコードジャケットを模したデザインを車体に貼り付けたり、その後は 「BOØWY」(ボウイ/ 1981年結成) のカッティングシートなどの貼り付けも大流行。

 また、俗にヤンキーマンガと呼ばれる 「湘南爆走族」(吉田聡/ 少年画報社/ 1982年〜1988年まで) や 「ビー・バップ・ハイスクール(BE-BOP-HIGHSCHOOL)」(きうちかずひろ/ 講談社/ 1983年〜2003年)、少女マンガで 「ホットロード」(紡木たく/ 集英社/ 1985年〜1987年) あたりは映画化などもされ大ヒット。 これらの 主人公 をボディやリアウインドーに大きく描いた車が週末の公道を走り回っていたものでした。

 さらにお正月やグラチャン (富士スピードウェイで開催された富士グランチャンピオンレース) に合わせて暴走族が集まるような 「お祭り」 の時期、あるいは暴走族向け雑誌の投稿欄や取材などに合わせたドレスアップでは、色とりどりの 特攻服 に加え、つっぱりやヤンキー系とは全く関係のない、その時々の流行したマンガやアニメ、ドラマ、社会現象などを ネタ にした一発芸的なカッティング車も集まります。 このあたりの ノリ は、コミケ におけるネタコスプレと発想自体はさほど差がありません。

「族車」 と 「痛車」「萌車」、オーナーの 「人種」 像

 「痛車」 と 「族車」 では目的や関わってる 「人種」 がまったく違う、全然似ていない、と思われるでしょうが、当時は横浜銀蠅が音楽番組のベストテンでは常連で、学校の生徒のかなりの割合が、少なくとも格好、見た目だけはヤンキー風にしてたりする時代でした。

 現在では 「珍走団」、DQN と呼ばれ敬遠される暴走族ですが (まぁ当然ですけど…)、当時は本格的な不良 (盗難車を乗り回したり暴力事件を起こして少年院に入ったり) だけではなく、半分以上は単なる 「ファッション」 の流行として、それを受け入れていた一般人もかなり多くいたんですね。 ケンカは怖いし根性もないし暴走族の集会なんか恐ろしくて出られない…だけどローンで必死に買ったクルマは流行りだから族車っぽくしたい…。 そんな、半ヤンキー、あるいはヤンキーのフリをしている一般人 (なんちゃってヤンキー) が、当時はものすごくたくさんいました。

 それらの中で 「オタク気質」 と云うか、モノを作ったり凝ったりする人の中には、俗に 「カッティングの魔術師」 とでも呼べるような職人芸を見せる人もいました。 いわゆる 「走り屋」 と 「族」 とが分離したのは 1970年代末だと思いますが、当時は 「車好き」 と 「不良」 とが、まだはっきりとは分かれていない (とりわけ地方は)、そんな時代でした。 何しろバイクに乗ってるだけで不良とか、そういう時代ですから。 また現存するいわゆる 「暴走族」 のいくつかは、誕生のきっかけや初期の頃は、大学の自動車同好会にその源流があったりもします。

 2000年以降はオタクが一種のブームにもなっていますし、そうなると、「なんちゃってオタク」 のような、流行に流される層も現れ、アニメを見てキャラに萌えたり、ゲームをプレイして 世界観 を語ったりもします。 まぁどんな ジャンル のものであれ、流行にまで至ると、いろんなタイプの人が集まってくるってことになるんでしょうか。

カッティングシートはいったん廃れ、エアブラシなどのバニングが人気に

 カッティングシートは確かにお手軽ですが、シートは基本的に1メートルとか 50センチ単位での販売ですし、アニメキャラのように色が複雑に 絡み 合ったり グラデーション があったりすると、細かい描写にはやや不向きです (それでも 90年代にセーラームーンのありえないクオリティのカッティングワークを施した車 (アキバ系族車) などがいたものです)。

 その後一部のマニアは、エアブラシによる車体へのペインティング (バニングと呼ばれる1BOXカーに多かった) に走ったりもしましたが、エアブラシによる描写は費用がしゃれにならないもので (ボンネットあたりにキャラの を描くだけで30万円とか40万円しますし、10円玉でギーって傷を付けられたらそれでアウト)、とても流行るまでは行きませんでした。

 そうこうしているうち、警察の取り締まりの強化、そもそも暴走族やヤン車が流行らない時代になったこともあり、こうした車は一部地域や一部の時期 (お正月前後など) を除き、ほとんど消えてしまいました。 とりわけ決定打となったムーブメントとしては、「ホワイトシンドローム」 を巻き起こした 「ハイソカー」 のブームの次が、90年代の真っ黒な 「VIPカー」 ブーム だったのが大きいですね。 重厚感とコワモテ風がかっこいい VIP カーに、マンガのカッティングはあまり合いません。

 その後の車乗りの流行の中心は、雑誌 「オプション」 に代表されるような走り屋に完全に移動した感じです (そもそも昔のように 18歳になったら当たり前のように普通免許を取り、車を買うのが当然…のような時代が、90年代に完全に終わったこともありました)。

車好きが萌えアニメやマンガ、ゲームに興味を持つと…

 そこに登場したのが 「痛車」(萌え車) でした。

 「痛車」 という名称が生まれ広まったのは ネット の中ですが、当初は 90年代から存在する 「オタ車」 と同じで、リアウィンドーやリアパネルにアニメやゲームのステッカーを貼るだけのシンプルでおとなしいものでした (一方内装は、アニメキャラのプライズ人形や縫いぐるみを飾りつけたり、大きなドールや抱き枕を助手席に 「座らせる」 などは、ある種の 「ヒステリーな 自虐的 ギャグ」 として、1990年代にも見かけられていました)。

 筆者の知り合いにも、縫いぐるみやフィギュアなどを満載した 「亜美ちゃん号」 なんてのを乗り回してるのがいましたが、外観は ノーマル だったり、あるいはシンプルなドレスアップに留まっていて、ここらは 「痛車」「萌え車」 と云うよりは、やっぱりまだ 「オタ車」 といった風情です。 その後、「族車」 時代からあった、リアウインドーなどに白いカッティングシートでキャラクターの切り絵を貼ったり、大きな文字 (アニメキャラ名や声優名 (椎名へきる とか) を貼るものが現れ、徐々に目立つようになってきました (痛車 晒し のような形で掲示板などでも 画像 を見かけるように)。

 いったんそういう 「ドレスアップの様式」 が生まれると、後は一気にエスカレートしてゆくもの。 走り屋系雑誌に痛い車が紹介されたり、カスタムカーのイベントなどに、その手の車が少しずつ集まるようになってきました。 その後、白地の印刷用カッティングシートにパソコンで作ったアニメ絵の版下をプリントして貼るなど、ドレスアップの方法が根底から変わり、色数もフルカラー、グラデーションも可能な、ほとんど ポスター クオリティのものが登場するようになりました。 費用もそこそこで可能になったのも大きいのでしょうか。

 元々一部の走り屋には 「頭文字D」(イニシャル・ディー/ しげの秀一/ 講談社/ 1995年〜) の人気もあり、おたく気質な人間が車乗りに多くいましたし、メカ好き、ドレスアップ好きは、時代も人種も超越するものなんでしょうか。 まぁヤンキーからもオタクからも 「一緒にするな」 と袋叩きにされそうな意見ですが (^-^;)。 前後して、チューニングカーやドレスアップカーの専門誌などにも、チラホラとアニメキャラを描いたものが出てくるようになってきました。

現在のフルカラーラッピングタイプの 「痛車」 誕生のきっかけは、「ラッピングバス」 かと思います

ラッピングバス
一般的なラッピングバス
広告専用のラッピングバス
広告専用のラッピングバス

 なお2005年〜2006年以降の 「痛車」 のブームとも云えるほどの大きな盛り上がりの原因でもある、ボディへの派手な キャラクターデザイン の直接的で大きなきっかけのひとつに、2000年代初めから本格的に始まったバスなどの公共交通機関の車体全面広告、いわゆる 「ラッピングバス」「ラッピング広告」 のインパクトが、かなり決定的な影響を与えたと筆者は思っています。

 東京都では 2000年4月から登場し大きな話題となったラッピングバスですが (ラッピング広告の手法そのものは昔からあります)、その際に、かなり早い段階からゲームやアニメの広告が採用され、それらを撮影した写真がネット上で話題になっていました (ちなみに路線バスは、鉄道や無線、カメラなどと並び、おたく の重要な本業・副業でもあります)。

 筆者は当時、東京は阿佐ヶ谷で仕事をしていましたが、2000年7月10日に阿佐ヶ谷駅前公園でくつろいでいると、京王バスの路線バスの車体全部に 「少年マガジン」 の人気キャラクターがぎっしりと大きく描かれていて (広告主は講談社で、GTOが大人気の頃です)、たまげたことがあります。 その後都営バスでも美少女ゲームを原作とするアニメの広告がキャラをクローズアップする形で掲載されていてビビッた経験があります。

ラッピング広告専用のエコカー(小型電気自動車)も登場
ラッピング広告専用のエコカー
(小型電気自動車)も登場 (秋葉原)
ラッピングされた観光地用の人力車も登場
ラッピングされた観光地用の
人力車も登場 (横浜)

 当時ネットで話題になった有名なところでは、2000年11月から翌年にかけて運行した 「あずまんが大王」(コミック電撃大王) の 「あずまんがバス」 や、2002年夏のコナミによる 「ときめきメモリアル3」 発売記念の都営ラッピングバスや都電ラッピング電車などが知られています。 ネットで本格的に話題になったのはこの頃からでしょうか。

 あれを目の当たりにしたら、「俺もやろう」 と 普通に 思うような気がしますw そしてこの頃に、「萌えバス」「萌え電車」「萌えトレイン」 などという言葉が大きく話題になりました。

 「痛車」 がある種の流行語にまでなり、その影響のような形で 「痛バス」 などと呼び方をするようになっていますが (通常の広告用ラッピングバスを 「痛バス」 と呼ぶケースも2006年あたりからポピュラーになっています)、本来の影響の順序が逆さになっていると思いますね。

 またバスや鉄道車両の車体広告などが、大型の業務用プリンターとプリント専用シートの普及と低価格化によって広まり、それらの機材や素材が個人のドレスアップに比較的手軽に使われるようになるのは、一昔前までのドレスアップ用素材の 「カッティングシート」 などと同じプロセスだと云えます。

 こうした広告手法が広まる中、大型バスやトラックを使ったラッピング広告ではなく小型の電気自動車を使ったものも2010年頃から登場、さらに自転車形式の観光地用のラッピング人力車なども登場しています。 この頃から目立ち始めてきた、アニメなどと コラボ したパチンコ店の看板ともども、あっと云う間に、萌えキャラ絵が街中にあふれる状況になってきました。

レゲー 「Forza 2」 により 「痛車」 名称が大きく拡散

Forza Motorsport 2
Forza Motorsport 2

 こうして徐々に勢力を拡大した 「痛車」 ですが、ネット 界隈 でこのネーミングが非常に大きくクローズアップされ、「痛車」 という名称を一般にも広めるのに決定的な役割を果たしたのは、2007年5月24日に Xbo360用ゲームとして発売されたレーシングシミュレータゲーム 「Forza 2」(Forza Motorsport 2/ フォルツァ モータースポーツ 2/ マイクロソフト/ 7,140円) での、常軌を逸したボディペインティング (カスタムペイントカー作成機能によるアニメキャラなどのペインティング) でした。

 この 「カスタムペイントカー機能」、四角や三角、円などの幾何学模様を組み合わせるだけの機能ですが、日本人オタクの職人技が炸裂し、模様を極限まで緻密に敷き詰めて、ほとんどゲームのキャプチャー画像をそのまま貼り付けたとしか思えないクオリティの萌え絵を車体に貼り付けた 「痛車」 バージョンが次々登場しました。

 ゲーム内でユーザー同士が車のやり取りを行える機能も手伝い、アメリカの ファン やゲーム開発者からは、「俺たちはトヨタの実車に続いて萌え車まで日本から買うことになるのか」 とまでの賞賛を集めました。 これらの 「痛車」 が走る様子が 「ニコニコ動画」 や 「YouTube」 などの 動画共有サイトイラスト 作成の様子つき動画などと共に流され大きな話題になり、一般にも大きく注目を集めることになりました。

 「痛車」 という名前や実際の車自体はそれ以前からある程度広まっていましたが、専門誌が出たりイベント規模の撮影会 (数台が集って秋葉原や有明などで無許可の路上撮影会をしているようなものではない規模) などで盛り上がるのは、ほぼこれ以降の現象となります。

「痛車」 のプラモデルや専門雑誌、専門イベントまで登場、一方で 「ぬる痛車」 や 「プチ痛車」 も

痛車の展示・撮影イベント
痛車の展示・撮影イベント
痛車の展示・撮影イベントも開催
これは2008年夏の 「あうとさろーね」
痛車.net
痛車専門コミュニティ「痛車.net」も登場
SNS形式で 運営 は2008年12月25日から

 ちなみに族車のプラモデルを販売してるアオシマ (青島文化教材社) が、2007年11月20日のイベントで、「アオシマ “痛車” プラモシリーズ」 を発表。 第1弾は 「涼宮ハルヒの憂鬱」 で、ハルヒのデカールを貼り付けて作るプラモ版 痛車がついに商品にまでなってしまいました。

 2008年にはシリーズ第2弾となる 「ToHeart2」(トヨタ スプリンタートレノ 前期(AE86) も発売。 さらにキャラクター・カー「きゃらコン」 と題してラジコンカー (「きゃらコン」 マクロスF シェリル・ノーム (MITSUBISHI ランサーエボリューション VIII) も登場。

痛車ろーど
痛車ろーど
痛車グラフィックス
痛車グラフィックス

雑誌、コミュニティの登場

 前後して写真集 「痛車ろーど」 も2007年に発売されていますが、ここらのノリは完全に 「oh! my 街道レーサー」 があった頃のホリデーオートかヤングオートか…って感じですw まぁ族車のように爆音を出さず安全運転ならば、とりあえずはOKでしょうか。 その後、2008年3月26日には、芸文社よりムックとして 「痛G」(痛車グラフィックス (Vol.1) (GEIBUN MOOKS (No.590)も創刊。

 2007年からは、「痛車」 を集めた大規模な専門イベントなども開催され、2008年になると開催2回目などとなり、イベントの規模も拡大。 「萌車ミーティング」 が 2008年7月20日に岐阜県可児市ふれあいパーク緑の丘駐車場で、またカスタムカー、チューニングカーの祭典、「オートサロン」 をもじった 「あうとさろーね」 も夏のコミケに合わせ東京有明客船ターミナル屋外敷地で 2008年8月16日〜17日に開催され、いずれも前年を大幅に上回る数十台から100台超の 「痛車」 を集めています。

 さらに2008年12月25日には、痛車専門の綜合情報サイト、コミュニティの 「痛車.net」 も登場。 痛車オーナーご自慢のクルマの写真を 共有 したり、絵師 らによる原画の公開や制作ノウハウのニュース配信など、活発な活動を開始しています。

ちょっとだけ痛くしたい…「ぬる痛車」「プチ痛車」

 ちなみに雑誌や萌え系企業の協賛などによる専門イベントやネットニュースの配信などによりブームとなった一方、「雑誌やイベントにエントリーするほどの レベル は無理だけど、ちょっとだけ痛車っぽくしたい」 なんてライト層も出始め、「ぬる痛車」(ぬるい痛車) や 「プチ痛車」 などと呼称も、2007年頃から出始めてきたようです。

痛バイク、痛チャリ、痛トラ、痛ダンプなども…

 なお 「痛車」 の実際の出没地はコミケ開催中の有明や秋葉原が多いようです。 またバイクに痛いデコレーションをした場合は 「痛バイク」「痛単車」(いたんしゃ)、自転車に痛いデコレーションをした場合は、「痛いチャリンコ」 で、「痛チャリ」、昔から車体にアートのような絵を描いていたデコトラ (アートトラック) でもアニメやマンガなどを描いたものは 「痛トラック」「痛トラ」 などと呼んでいます。

そしてついに痛選挙カー (痛車選挙カー) や痛選挙広報車まで…

赤松健さんの2022年参院選痛選挙カー
赤松健さんの2022年参院選痛選挙カー
藤末健三さんの2022年参院選痛選挙カー
藤末健三さんの2022年参院選痛選挙カー

 2022年7月10日投開票の参議院選挙では、マンガ・アニメ・ゲームに対する不当な表現規制に反対し、「表現の自由 を守る」 ことを公約とした候補者が萌え風キャラをあしらった選挙カー (街宣車) を使った選挙活動を行い、「ついに痛車が選挙活動にも」 と話題を集めました。

 それ以前の選挙活動でも、候補者の似顔絵などを現代的なマンガ・アニメ風のタッチで描いたノボリなどを掲出する選挙戦や選挙カーなどはあり、「すわ痛選挙カーか」 と騒がれたこともありました。 しかし 2022年の選挙時には 「それっぽい」 ではなく完璧に 「それ」 な選挙カーが登場。

 なかでも 「ラブひな」「魔法先生ネギま!」 をはじめ長年少年誌でおたく向けっぽいマンガを連載し、またいわゆる 児ポ法 関連の創作物規制やマンガの海賊版問題などに対して10年以上にわたって山田太郎さんなどと連携して反対運動をリードしてきた漫画家の赤松健さんはじめ、表現の自由問題で著名な候補者が揃い、それぞれが自作の萌えっぽいキャラなどを車体にあしらった選挙カーを前面に押し出した選挙戦を実施。 「赤松健先生の選挙カーが完全に痛車」「これが本物の痛選挙カー」「萌え選挙カーか」 と注目を集めています。

 一方、成人年齢の引き下げに伴い、18歳から投票ができるようになったものの若者の投票率は低く、それを改善すべく愛知県選挙管理委員会では 「わたしたちの選挙、はじまる。」 と題した若者向け選挙広報キャンペーンを開始。 人気声優の佐倉綾音さん (あやねる) を起用し、アニメキャラが描かれた広報車5台による広報が始まりました。 行政によるアニメキャラなどの活用は 萌えおこし として様々なものがありますが、こちらも 「痛選挙広報車」 として話題になっています。

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(同人用語の基礎知識/ うっ!/ 2007年11月15日)
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