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ゼロ・トレランス方式
Zero Tolerance Policing

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どんな些細なものも徹底して全て規制…「ゼロ・トレランス方式」

 「ゼロ・トレランス方式/ Zero Tolerance Policing」 とは、Zero (皆無)+ Tolerance (寛容)、つまり一切の例外や妥協、お目こぼしや留保をせず、「非寛容」 の精神でどんなに些細なこと、本筋とは無関係と思える枝葉の小さなことまで、見つけ次第に徹底して取り締まり罰則を与え、根こそぎ規制することです。

 または単に 「絶対に許せないもの」「絶対に許されないもの」「根絶」 といった意味で使う人もいます。 日本では 「ゼロ・トレランス方式」 のほか、「非寛容方式」「不寛容方式」「寛容度ゼロ方式」、工業の世界では 「不良品根絶」 などと呼びます。

 本来はアメリカの教育論から出てきた学童教育施策の方針のひとつで、いわゆる 「割れ窓理論」(Broken Windows Theory/ ある建物の割れた窓などをたった1つでも放置していると、誰もそれに注意を払っていない → 無関心な人ばかりというサインとなり、犯罪を誘発する荒れた環境になる) がベースとなった考え方に基づくものです。

 「軽微な犯罪、ルール違反を見逃すと、より悪質、凶悪な犯罪にいずれエスカレートする」、つまり、「凶悪犯罪をなくすためには、一見凶悪犯罪と何の関係もないような些細なルール違反、軽犯罪なども全て規制し、常に監視の目が光っているというメッセージ、サインを発すべし」 ということになります。

 2007年頃から盛り上がる 児童ポルノ法 の改正問題において、しばしば規制推進派から マンガアニメゲーム などの創作物を取り締まるための 「論拠」 のひとつとして取り上げられ、注目を集めるようになっています。

1994年より、ニューヨーク市の政策に導入された 「割れ窓理論」

 この種の理論は1960年代から様々な形のものが提唱されていましたが、1994年にニューヨーク市の市長となったルドルフ・ジュリアーニ氏 (在任/ 1994年1月1日〜2001年12月31日) が、悪化の一途をたどる治安の回復と凶悪犯罪の撲滅を公約に掲げて当選、「割れ窓理論」 に基づく徹底した取り締まりを行い注目を集めました。

 具体的な政策としては、街中の落書きやゴミの不法投棄などを放置しない、駐車違反や騒音を出すなどのようなごく些細な軽犯罪なども罰則を引き上げ、警察官の大量増員などで法的に厳格に対処する…などですが、結果として犯罪発生率の低下、治安の回復などを実現したことから、アメリカのみならず日本をはじめ世界中で関心を持たれるようになりました。

 その後このジュリアーニの政策は 「ゼロ・トレランス政策 (非寛容政策)」 と呼ばれるようになり、児童教育の分野では 「凶悪犯罪をなくすためには、子供時代の道徳、初期の非行の徹底的な取り締まりこそが効果的」 とされるように。 そのままアメリカで荒れた学校、凶悪犯罪が多発する地域の学校などでとくに有効な教育方針として、この 「ゼロ・トレランス方式」 が程度の差はあれ、実験的に広く採用されるようになりました (罰則の強化のほか、「制服」 を導入したり、登下校時間厳守を徹底するなど)。

ゼロ・トレランス方式、日本でも導入が図られたものの…

 こうした教育方針は、その後 「学級崩壊」(1997年頃より) などという言葉が叫ばれるようになっていた日本の学校教育の場でも盛んに提唱されたり、実際に一部で導入されることとなりました。 しかし日本はアメリカなどに比べたら遥かに治安の点で優秀であり、また子供への締め付けが元々厳しく (制服などがない学校の方がはるかに少数派)、その反省に立ってむしろ 「子供の自主性」「子供の自由と人権」「管理教育の緩和」 などを拡大する状況にあったこともあり、ほとんど普及しませんでした。

 そもそも日本では、個人主義放任主義が主流のアメリカなどと違い、「言葉や服装、頭髪の乱れは非行の前兆、サイン」 として、昔から非常に厳しく学校の校則や地域、家庭などで取り締まっていたので、それ以上厳しくする必要がなかったのですね。 またそうした厳しさが、学校の窓ガラスを割って歩くような分かりやすい非行である 「校内暴力」 を封じ込める一方で、「いじめ」 などのように頭髪や服装の乱れ (落書きや割れた窓、ゴミのポイ捨てのような、分かりやすい軽犯罪、マナー違反) で見分けられないような 「表面上を取り繕い影で行う非行」 をむしろ助長している状況もありました。

 非行問題などと直接の関係はないものの、教育の場では学習のカリキュラムを大きく減らす ゆとり教育 が花盛りの頃だったこと、保護者らの過保護的な学校・教育現場への締め付けもあり、「些細なことも徹底して押さえつける」 というこの方針は、「日本ではむしろ逆効果だ」 として、あまり話題になりませんでした。

 ただし継続して文科省で検討はされていて、違反に対する罰則を明示する形での導入は計画されているようです。 一例としては、それまでの校則のように、「制服は正しく着用すること」 という努力目標的な書き方ではなく、「制服を正しく着用しなかった場合、1週間の停学処分と処す」 のような内容に改める感じですね。 そしてそれを、一切の例外なく全ての生徒の生活指導に適用しようという試みとなっています。

日本でも好意的に紹介される 「割れ窓理論」、その本当の姿は

 ところで 「Zero Tolerance」 の前提となる 「割れ窓理論」 は、正しいのでしょうか?

 こうした 「放置していると事態は段々と悪い方へと一方的・無制限にエスカレートする」 という理論は、科学的に批判され今では過去の話となっている 「ドミノ理論」(ドミノ倒しのように、どんどん悪いことが連鎖して広がる、悪化する) との強い類似性が指摘され、「単に同じ理論の装いを変えただけではないか」 との批判が初期の頃から根強く存在します。

 また確かにニューヨークの凶悪犯罪発生件数は減りましたが、単に警察官の数が増え、「捕まるリスクが高まった」 から、犯罪者が他の地域へ出て行っただけだ、実際にニューヨーク市近傍の都市の犯罪認知件数は増えている、との指摘もあります。

 検証については色々な取り組みがあり、中でもよく引き合いに出される実験に、2台の車を1セットとし、2つのグループに分けて道路に放置し経過を見るというものがあります。 片方のグループは1台の車の窓が割れもう1台は普通、もう片方のグループは2台とも普通で、それぞれのグループの自動車へのいたずらや被害の発生状況を見守るもので、最初のグループの場合、普通の車も窓の割れた車に影響され程なくして窓が割られたり落書きをされたりするけれど、後のグループは2台とも普通のままだった…という内容です。

 ただしこれも、ある程度のサンプル数できちんと見比べないと、単なる偶然、まぐれの可能性が排除できません。 支持する立場の人、批判的に見ている立場の人たちが、それぞれ様々な実験を行っていますが、いずれも確証を得るまでには至らず、互いの主張は平行線を辿っています。

窓ガラスが割られるから凶悪犯罪が起こるのか、その逆の可能性は…?

 「連鎖する」「エスカレートする」 というのは、ドミノ倒し、将棋倒し、あるいは滑り坂状態と同じで直感的に分かりやすく視覚的にもイメージし易い理屈です。 またゴミひとつ落ちていない公園ではゴミを捨てづらいけれど、ゴミがたくさん落ちている公園では、自分もゴミを捨てることに遠慮がなくなる…という、日常生活での 「実感」 もあり、正しい理論のような気がします。

 しかし 「ゴミを捨てる」「落書きをする」 という行為と、「銃で人を撃ち殺す、泣き叫ぶ女性を殴打して力ずくで犯す、金を奪う」 とが、全く同じラインに並ぶ犯罪 (悪さの 「強弱」 のみで説明できるもの)、大きなつながり、強い関連性のある行為とも思えません。

 「窓ガラスが割られるから凶悪犯罪が起こるのか、凶悪犯罪が起こるような地域だから窓が割られるのか、原因と結果が転倒しているんじゃないか」「因果関係と相関関係を混同している」 との問題提起や、「割れた窓ガラス放置から殺人事件に発展する可能性は何パーセントあるのか、それは放置しなかった場合に比べ多いとしてどのくらい多いのか、もしそれが誤差の範囲の違いなのだとしたら、果たして意味はあるのか」(無駄な努力で消費する人的リソースを、凶悪犯罪撲滅にそのまま振り分けた方がずっと効率が良いのではないか) もあり、ニューヨーク市の 「成果」 とは別に、定まった評価は得られてないのが現実です。

 またそもそもニューヨーク市の 「成果」 自体も、市や市警が自ら発表するデータと、市民団体の発表するデータとで、数値に大きな違いが生じていた事実もあります。

「児童ポルノ規制」 の報道で、やたら 「ゼロ・トレランス」 が登場

本当に子供を守るため?
本当に子供を守るため?

 その後2007年から2009年にかけ盛り上がっている 「児童ポルノ法」 の改正問題と、それを推進する 「日本ユニセフ協会」 や 「ECPAT/ ストップ子ども買春の会」、「ポルノ・買春問題研究会/ APP研」 などの共同声明やマスコミでの報道などを通じ、この 「ゼロ・トレランス」(報道などでは、英語でそのまま 「Zero Tolerance」 と表記される場合が多い) が頻出。

 むしろその後は、「児童ポルノを非寛容の態度で徹底的に取り締まる」 との意で、「ゼロ・トレランス」 を認識している人も多くなっている状況です。

 こうした 「日本人に馴染みの薄い言葉」 をことさらに主張に混ぜて出して来た背景には、それまで彼らが声高に叫んでいた 「たとえ被害者のいない創作物であっても、その作品によって影響を受け犯罪に走るケースが想定される以上、規制はすべきだ」 との 「強力効果論」(環境犯罪誘因説/ 創作物の影響は、それを見た者を犯罪に走らせる効果があるとの説) が、学術的、科学的に明確に否定されつつあることに対し、「別の、もっともらしい横文字の都合の良い論理」 が必要になったからではなのか、との意見も、規制強化に反対する人たちからは囁かれています。

世界一安全な国が、世界一危険な国の論理を真似する滑稽

 もちろん実在の児童が悲惨で深刻な性的被害を受ける 児童ポルノ、文字通りの 児童虐待画像・動画 は根絶されてしかるべき忌むべき存在です。

 しかしこれら規制推進を図る団体は、実在の児童などとは無関係のアニメや漫画、ゲーム 、未成年に見えなくもないが実際は成年によるアダルト作品、単なる水着の作品なども、「それらを放置していると、いずれ本当の児童性犯罪を招く」 などとして、「Zero Tolerance」 すべし、実在児童の人権侵害の有無など無関係に、創作物だろうが被写体が年齢不詳であろうが単なる水着であろうが、彼らから見て好まざるものは全て 単純所持の禁止 を行えとの過激な主張を根拠もなく叫ぶ状況となっています。

「Zero Tolerance」 の意味も変容

 またそれらの主張を、日本などより遥かに児童人権がないがしろにされている国々 (アメリカや中国、スウェーデンなど) の人権団体やその国の人に代弁させる形で国内で表明しており、「なぜ日本より状況の悪い国を参考に、日本の規制を決めねばならないのか」「アメリカ人のシーファー大使や中国人のアグネス・チャン女史、スウェーデンのシルビア王妃、イギリス人のエセル・クエール女史などは、偉そうに他の国に勘違いの説教をする前に、恥ずかしい自分の国を何とかしたらどうか」 と、強烈な反論を引き起こしています。

 こうした考え方や主張は、誰も反論できない 「子供の人権を守れ」 というスローガンを利用した 「ポルノ狩り」「表現規制」 の典型的な主張、まさしく セックスヘイト そのものの感じがしますが、読売新聞、毎日新聞はじめ、一部のマスコミが積極的に報道したり紹介したりしていることで、不気味に広まりつつあります。

規制反対派のいう 「警察の恣意的取締りが蔓延して誰でも逮捕に」
これは ドミノ理論、Zero Tolerance による警戒ではないのか?

 「ドミノ論」 を使ったアニメやマンガ、ゲームなどの創作物の規制が誤りなら、同じように反対派のいう 「警察の恣意的取締りが蔓延する」「規制がどんどん厳しくエスカレートする」「最終的には思想を取り締まる警察国家になる」 との説も、同じように 「ドミノ論」 による杞憂ではないかとの再反論が昔からあります。 もっともな話で、理屈としては正しい反論でしょう。

 ただしこれは、そもそもの前提条件が異なっている点を見逃すと中身のない議論になってしまいます。 といいますのは、アニメやマンガを見ることにより性犯罪を犯すような人格や性格が作られる…だから実際に犯罪が起こる前に取り締まるべきだ、との意見 (強力効果論) が科学的に否定され、その実例がほとんど見出せないのに対し、あやふやな定義による法律を警察が恣意的に運用して犯罪を立件したり、それがエスカレートして思想を弾圧したケースが、日本に限っても実例として多数存在する点です。

 俗に 「エロは民主主義と、その前提の表現の自由の 「外堀」 とも云われるように、「規制しやすい性風俗関連から手をつける」 というのが、洋の東西を問わず、昔からのひとつのパターンだからです。 ルネッサンスの終焉を招いた 「虚栄の焼却」 しかり、ナチスドイツの 「退廃芸術狩り」 しかり、自由や思想が弾圧される時、何よりも真っ先に裸婦像が焼かれるのは歴史が示しているところです。

 日本でも江戸時代の浮世絵や春画、明治期の造化機論、大正昭和のエログロナンセンスの取り締まりから世の中がどう動いたのか思い出せば、それがもう二度とやってこないと断言はできません。 しかも日本の場合、すでに刑法175条 (わいせつ物陳列罪) で、裸婦像の一部は失われている状況です。

 また日本特有とも思える強い同調傾向、しばしば行き過ぎる 自主規制 を考えると、「悲観的に考えすぎだ」 と安心することができないと感じています。 筆者としては、警察の暴走よりも、自主規制の方がはるかに問題だと実は思ってます。

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(同人用語の基礎知識/ うっ!/ 2009年3月10日)
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