脚部を強調しセクシーな雰囲気が広がる 「網タイツ」
「網タイツ」 とは、網目状 (格子状) に編まれた タイツ のことです。 フィッシュネットタイツ (漁網タイツ) や単にネットタイツ、製作に粗いゲージで縦編みするラッセル編み機が使われることからラッセルタイツと呼ばれることもあります。 タイツとは呼ぶものの、現在では一般的に ストッキング や パンスト と分類されるものも多いでしょう。 なので網ストッキングや網パンストと呼ぶこともあります。
色 は黒やそれに近い暗いものが 定番 で、腰まで覆うタイツやパンストと同じタイプの他、太ももまでの ガーターベルトストッキング・オーバーニー と同じタイプのものがあります。 その他、靴下 に分類されるようなひざ下丈の短いもの、レースや リボン、刺繍などの飾りがついたものなどもあります。
網タイツは網目の密度によって全体の トーン や 雰囲気 が変わります。 網目が細かければ暗く、かつ比較的無難な雰囲気になりますし、粗ければ肌の部分がそのまま表面から見えて明るく、また網目が強調されて大胆で挑発的なイメージになります。 黒と同じダークカラーでより大胆で性的に感じられる赤や紫のものの他、白やベージュといった上品で 清楚、キレイめ寄りのものもあります。
網の形は四角形を45度回転したダイヤモンド型が一般的で、その他に六角形や網目が大きく幾何学的で不規則な形のものもありますが、脚の形にあわせてそれらが変形し、まるで 3D CG の ワイヤーフレーム構造のように立体感を明確にして強める造形となります。 視覚的に脚部を強調し、セクシーさや肉感的な女性らしさ、あるいは過激でエッジの効いた雰囲気を醸し出すことができます。 また動きを強調し印象付ける効果も発揮します。
基本的には夜の社交場やダンスを中心としたステージ用衣装、あるいはセクシーランジェリーや コスプレ に用いる特殊なものといった位置づけですが、時代を下るとパンクやビジュアル系といったロック音楽文化とも結びつき、若い女性の ファッション の一部に取り入れられるようにもなっています (後述します)。
キャバレーやダンス・歌劇文化と網タイツ
網タイツは漁網からヒントを得て作られたもので、19世紀末から20世紀初頭にかけて、フランス・パリのキャバレーで行われるダンスで用いられ普及したものです。 キャバレーは踊れる酒場、社交場といった位置づけの店ですが、店内に 客 が踊るための ホール の他に 舞台 を持ち、多数の女性ダンサーらが一列に並んで脚を上げ下げするラインダンスや脚でリズムを刻むタップダンス、性行為を連想させる艶めかしいダンスなどなど、演者 によるパフォーマンスが行われていました。
華やかな衣装を身に着けたこれらのステージダンスやショーはレビュー (ダンスの他に歌や楽器演奏、寸劇やコメディ、マジックショーなども行われます) やバーレスク (レビューにセクシーさやストリップ的な要素、風刺の要素が入るもの) と呼ばれますが、若い女性の踊り子らの華麗な足捌きの美しさを強調するのに、網タイツはうってつけの存在でした。 また現在では社交ダンスと呼ばれる訪れた客らのダンスでも、女性を魅力的に見せるものとして光沢のあるストッキングの他、網タイツもしばしば選ばれました。 あまり煽情的な装いにならないよう、比較的網の目の細かいものが好まれたようです。
パリで生まれヨーロッパの一部に広がった網タイツはその後アメリカに渡り、シカゴ万博が開催された1933年頃にはアメリカでもキャバレーやそこで演じられるバーレスクのブームが生じています。 こうした動きは欧米以外にも広がりますが、キャバレーやダンスホールが元々欧米の植民地やそれに近い状態の途上国の都市部に現地の欧米人向けの娯楽施設として設けられていたため、多少のローカライズはされたものの、それぞれの地域で独自の文化が大きく発展する余地はさほどありませんでした。
日本に近いところでは、中国の上海などに類似の娯楽施設が存在しており、日本でも1930年代あたりから似た業態が国内や当時日本が進出していた海外にありましたが、数も少なく、あまり注目を集めるものではありませんでした。 当時の日本の社会情勢的に、欧米的な娯楽施設を歓迎する空気はありませんでしたし、戦前・戦中はまともな営業が困難だった時期もあります。
網タイツは戦後となる1953年にキャバレーブームのあったシカゴで創刊された雑誌 「PLAYBOY」 とその出版元が 運営 する高級クラブ PLAYBOY CLUB でも、燕尾服 (バニーコート) やボディスーツに 蝶ネクタイ (リボンタイ)、ハイヒール、うさぎの耳や尻尾をつけた バニーガール(バニガ)(PLAYBOY BUNNY) と呼ばれるウエイトレスの 制服 に用いられてより一層知られるようになります。 国内でもナイトクラブ (会員制クラブ・レストラン) であるエスカイヤクラブ (1964年創業) で用いられ、ある世代の日本人にとって、網タイツといえばバニガのイメージが強いものでしょう。
戦後のキャバレーブームとダンス文化の変化
日本でキャバレーが夜の社交場として大きく発展しブームになったのは戦後でした。 とくに高度経済成長期にかけてダンスホール文化の流れを汲むグランドキャバレーと呼ばれる大型店が各地方に誕生し、最盛期を迎えることになります。 独立系のものの他、レジャーグループが主体となった全国展開のチェーン店などもあり、音楽やダンス、ショー、ホステス (キャスト) との会話を楽しむ大衆社交場として人気となりました。 ピンクキャバレー (ピンクサロン) と呼ばれる、性的サービスを中心に行う店舗などもありました。
大型チェーンはキャバレーなど縁のない人にも深夜帯のテレビCM を盛んに流していたことで 認知 され、とくに三経ロンドングループの 「楽しいロンドン、愉快なロンドン、ロンドン、ロンドン」 は強烈なインパクトと中毒性がありました (ただし CM ではロンドンの近衛兵っぽい衣装で網タイツは着用してませんし、いわゆるグランドキャバレーではなくピンクキャバレーが中心でした)。
これらのキャバレーは、ステージショーが行われる大規模観光ホテルやレジャーランド、ストリップ劇場とともに網タイツ活躍の場ではあるものの、いかにも 昭和 といった業態であり、バブル経済の前あたりから他の業態 (キャバクラやフィリピンパブその他) に圧迫されたり娯楽の多様性によって衰退し始めます。 昭和が終わり平成が始まってバブル崩壊が生じると経費飲み (会社の接待で使う) も激減して危機的状況となり、2000年代ともなるとほとんど消えてしまいました。
キャバレーやナイトクラブと密接な関係があるダンスホールも庶民向けのものは大正時代に始まり戦争を挟んで戦後にブームが生じ、1970年代までは賑わっていたものの、時代とともに踊り場やディスコやクラブといった競合が次々に現れ、そもそもバブル前からそれらに圧倒され存在感はなくなっていました。
比較的最近まで店舗が存在したキャバレーは、東京銀座にあって歴史的・伝説的なキャバレーと呼ばれる白いばら (1931年に食堂としてオープン、バーを経由して1951年にキャバレーに業態転換、2018年に閉店)、一時期は50店舗を誇り創業者の福富太郎さんがキャバレー王と呼ばれたハリウッド (1960年1号店オープン/ 2018年に残った全店舗が閉店) があります。 現在でも生き残った数少ない店舗と云えば、1937年創業の大阪のミス大阪や、同じ グループ によるミス・パールやザ・フレッシュ、1969年創業のグランドサロン十三、1976年創業の名古屋のキャバレー花園、1938年創業の島根のキャバレー赤玉、 1958年創業の熊本のキャバレーニュー白馬などがあります。
いずれも舞台やダンスホールと云った設備を持つ建物が必要なため、物件の老朽化や風営法による制限といった集客以外の困難を持っています。 前述したキャバクラに加えギャルズバーやラウンジといった業態も増え、とくに若い世代にとっては飲酒が避けられがちな上、メイド喫茶 などの コンカフェ の登場や、ステージに関しても地下アイドルといった異なる業態も登場し、厳しい経営が続いてきたという部分もあります。 時代に合わせ、キャバレーではなくナイトラウンジといった呼び方がされることもあります。
業態はまるで異なるものの、キャバレーと似た文化的イメージを持つ存在に、戦後流行したシャンソン喫茶があります。 東京銀座で1951年に創業の銀巴里 (1990年閉店) や武蔵野市吉祥寺のラ・ベル・エポック (1974年開店/ 2009年閉店) らは、美輪明宏さんや青江三奈さんらがステージに立ち、客として訪れた文化人らも三島由紀夫さん、寺山修司さん、吉行淳之介さんら錚々たる顔ぶれで、大きな存在感を放っています。 ただしこちらはあくまでシャンソンなどの歌唱がメインであり、衣装もドレスやパンツルックです。 年初に行われるレビューは新春シャンソンショーです。
なおラインダンスは閉館した日劇や浅草国際劇場といった演劇・歌劇用の大劇場でも行われ、現在でも宝塚歌劇団やOSK日本歌劇団 (松竹歌劇団) を始め、数は減りつつも文化として根付いています。 とくに宝塚のロケットと呼ばれるラインダンスはアメリカのダンスチーム、ロケッツのパフォーマンスに由来とするとされ、1927年に日本初のレビュー 「モン・パリ」 で初披露されて以来、宝塚歌劇を象徴するもののひとつとされています。 そのゴージャスさは圧巻です。
夜の踊り子の衣装から、若者のおしゃれやファッションの世界へ
網タイツと夜の社交場やダンス、あるいは性のイメージは切っても切れませんが、さらには最新の若者向け音楽の世界や反体制・反逆的なファッション、懐古趣味などにも モチーフ のひとつとして用いられるようになります。 1960年代に大ブームとなった ミニスカート との組み合わせは、ストッキングの普及ともども大きな転機のひとつでした。 大人 (というか おじさん) の夜の社交場や伝統的なダンス・演劇の舞台から、抑圧される女性や性的なものの解放、若者の最新でかっこいいファッション アイテム への変化です。
中でもロック音楽との親和性は高く、とくに1970年代半ばから後半のパンクロックに影響を受けたパンクファッション、1980年代前半からの日本のビジュアル系バンドの影響を受けたバンギャ服 (バンドギャル服/ V系ファッション) などにも取り入れられます。
バンギャ服と云えば、音楽バンドをイメージした Tシャツ や革製のハーネスやチョーカー、ベルト、鉄製のチェーンやスタッズ (鋲)、安全ピンや 絆創膏、派手な 髪色 や男性 (ギャ男) ならば モヒカン などの過激な 髪型 に濃いメイク、ピアッシングなどですが、そこに網タイツ、それも破れた網タイツや破れた衣服の裂け目からチラ見えする網タイツ (あるいは網シャツ/ メッシュシャツ/ V系文化ではなくレゲエ文化の印象が強い) は、反体制的で破滅的、一方で支配からの解放とか自由といった、ある種の象徴的な意味付けもされています。 このあたりはボンテージファッション や SM や退廃的・世紀末的なその他の文化などとも接続あるいは継承をしつつ、1980年代から1990年代にかけて大きな影響力を持ちその後はすっかり根付いています。
一方、懐古の部分については、ロリータ や ゴスロリ との親和性の高さもあります。 こちらもビジュアル系バンド文化などを通じて一部がバンギャ服と強固に繋がっていますが、豪華で華麗・耽美的なドレスなどから メイド といったクラシカルなその他の スタイル や おたく・秋葉原 っぽい ジャンル、それぞれの個人的な部分で メンヘラ や 地雷、中二病 的な資質とも同時並行的につながり、全体として独自の様式や文化を作り上げています。
また1990年代後半に盛り上がった ギャル 文化の一部と生じた接点は、非日常的な網タイツがちょっと目立つけれど 普通 のファッションの範疇に入るものとする契機のひとつだったかも知れません。 ミニスカや ホットパンツ に 厚底 の ロングブーツ と網タイツは相性もぴったりです。
バンギャ・V系やゴスロリ系とギャル系やストリート系、それらと一部がつながる夜職系とは人物像や傾向、あるいは時代なども含めてそれぞれがかなり隔たったスタイルなのですが、さりとて全くの無関係というわけでもなく、またおたくの世界ではしばしば交錯し、マンガ や アニメ、後には ゲーム といった創作物やコスプレを通じて独自のスタイルを作り上げています。 ただし現実のファッションで云えば網タイツどころか一般のタイツやストッキングさえ避けられるようになってもきており (生足 ブーム)、あくまでファッションに敏感でこだわりを持つ人たちの一部のものではあります。
脚が太いとチャーシューとかボンレスハム扱いされたり
なお脚が太かったり体型が ふとましい 女の子の網タイツは揶揄の意味を込めてチャーシューとかボンレスハムなどと呼びます。 身の引き締めや煮崩れ防止のために肉のブロックをタコ糸で縛る姿を揶揄したものですね。 とはいえ細すぎる網タイツもそれはそれで肉感的な魅力に欠けると考える男性は多そうです。 太ももにある程度のボリュームを求めるのは男のサガでもあるのでしょう。
もっともバンギャにせよギャルにせよ、とくに網タイツを履きこなすようなおしゃれな女性らは、同じ クラスタ・界隈 の中でイケてるかどうか (女ウケ) を競うことはあっても、自分の興味対象外の男性の目など眼中にないケースがほとんどでしょう。







