一世を風靡した大和撫子の最新版? 「ギャル」
「ギャル」(ギャル系) とは、独特で奇抜なファッションやライフスタイルを持つ若い女性、あるいはそうした文化圏に属し影響を受けた人たちを指す言葉です。 少女や若い女性一般を意味する言葉としては1970年代後半からありますが (後述します)、2000年代以降も続く現在のギャル系のイメージやスタイル・カテゴリ は、もっぱら1980年代後半から1990年代中頃までのギャルブームとして登場したものの影響下にあります。 当初は大都市圏で盛り上がり、その後地方へと広がり、以降は一般用語・多くの人の間で広く共通する 概念 になっているといって良いでしょう。
こんにちのギャルと云う言葉から受けるありがちなイメージとしては、ファッションとしては 茶髪 や 金髪 で派手目の作り込んだ 髪型、細眉につけまつげや カラコン、アイシャドウなどのアイメイクを中心とした濃い目の化粧、ミニスカート や ホットパンツ、キャミソールといった露出度の高い服装、ルーズ方向に振った 制服 の着崩し、ラルフローレンやイーストボーイといったブランドのオーバーサイズで緩いニット (カーディガンやセーター) やアウター全般、ルーズソックス や ローファー (コインローファー)、私服なら厚底ブーツ、トロピカルなイメージのある アクセサリー・小物類などの アイテム、普及し始めた携帯電話やピッチ (PHS) の過剰なデコレーション 、そして凝ったネイルアートなどがあります。
また内面・文化的には天真爛漫で明るい性格、友人らと集ってのだべりやプリクラ、カラオケ を楽しみ、「盛る」「アゲ」「ぽよ」「ズッ友」「それな」 などに代表されるギャル語と呼ばれる独特で ノリ のよい言葉やギャル文字と呼ばれる可愛らしい書き文字の存在があります。 突飛でがさつなところがある一方で、いわゆる 女子力 が高いケースも多く、総じて 高いコミュニケーション能力 を持っている人たちと思われているといっても良いかもしれません (人によっては若くてかわいいけど中身は良い意味で世話好きなおばさんみたいなイメージも)。
一般的にはその外見からとっつきにくく感じられるタイプですし、とくに世代が異なると同じ女性でも理解不能な部分もありますが、意外に家庭的な部分があると目されます。 それは見た目から受ける印象とのギャップから強調されがちなためだとは思いますが、一部の男性 (とくにある程度以上の年齢の男性、おじさん) からは母性愛あふれ癒される 天使 あるいは ママ のように思われ好まれるタイプと云えるかもしれません。
俗に 「おたく にも優しいギャル」 は ネタ としてもよく耳にしますが (後述します)、実際それはその通りで、突飛な意見や他人の見た目を否定しないとか、陰キャ・コミュ障 相手でもぐいぐいと距離を縮めて来てくれる、乱暴な言葉遣いであけすけにモノを云う部分がありつつも情が深く、親身になって寄り添ってくれるようなイメージも持っています。 誰も否定せず誰にでも親切だから、ひと昔前までなら女性から嫌われがちだったおたくも排除されないという訳ですね。
これは現実のギャルであればもちろん個人差がありますし、あくまで漠然としたギャルと云う存在がそのようなイメージを喚起しやすいだけではあるのでしょうが、これが転じて、マンガ や アニメ、ゲーム といった創作物では、本音や核心部分を鋭く突く、突拍子もない論理の飛躍をするなどで、ある種の狂言回しや道化師、トリスタ (トリックスター)、あるいは毒消しや コメディリリーフ、ムードメーカー、アホの子 として便利に使われすぎている部分はあります。 これは元気で裏表なく明るくて、あまり落ち込まないし落ち込んでもすぐに立ち直りそうだという見た目から受けるイメージが、キャラを立てる 上で好ましく作用しているからでしょう。
一方で否定的な立場の人からは、「男から見て都合の良いただのお母さんじゃん」 とか、多くの場合でギャル系の キャラ が 巨乳・グラマラス に描かれがちなため、その包容力とあわせて 「実質的にキャバ嬢や風俗嬢と同じような扱いをしている」 と見られたりもします。 頭が悪いというイメージで語られることも多く、そこに男尊女卑的な差別を感じるという意見もあります。 とはいえおたく的な 作品 の 作者 に女性は少なくなく、同じ女性から見た極度に理想化された姿をギャルに仮託しているという部分もあるのかなという気もします。 ギャルは華やかだし女性の魅力をこれでもかとつぎ込みやすいので、描くのが楽しいという女性作家はとても多いでしょう。
なお男性でギャルっぽい価値観を持つ場合はギャル男と呼びますが、女性のギャルが異性関係を重視したりその方面にだらしがない部分がありつつも、同じギャル同士のつながりをこそより尊重する傾向が強いのに対し、ギャル男の場合はもっぱら異性とのつながりや ナンパ といった直接的なアプローチに積極的だという点で、やや傾向は異なります。 ギャルと違い蔑称のニュアンスが強い表現でしょう。 またいわゆるオラオラ系とか チャラ男、ウェイ系・パリピ・イベサー・ホスト系などとも緩やかに繋がっていて、時代や地域、個々人のポジションによって文化やライフスタイルはかなり異なり、一般に男性からは侮蔑の対象となりがちです。
1970年代末から80年代にかけてギャルという言葉が流行
ギャルと云う言葉それ自体は、英語の Girl(ガール) の俗語的表現 Gal (ギャル) から派生したものです。 発端としては 1970年代にアメリカの3大ジーンズブランドの一つ ラングラー (Wrangler) が女性の体にフィットするジーンズを Gals ブランドとして販売したことに始まります。 これが日本に入って来て少しずつ広まる中で、それまでの伝統的なレディースファッション (あるいは女の子っぽいかわいらしさ) に対してアメリカ発の最先端女性向けファッションを 「ギャルファッション」、そうしたスタイルを生活に取り入れる若い女性をギャルと呼ぶようになります。
この 「ギャル」 と云う言葉は同年代の女性全体を指す言葉としても使い勝手の良いもので、ファッション分野以外でも用いられ定着。 後に少女向け雑誌の 有害図書 問題を起こした 「ギャルズ・ライフ」(主婦の友社/ 1978年) が創刊されたのをはじめ、歌い出しからギャルを連呼する沢田研二さんのヒット曲 「OH! ギャル」(1979年) などなど、メディアや世相にも様々な影響を与えています。
こうした海外の先端ファッションの導入と流行はそれ以前にもありましたが、この時期はちょうど渋谷に PARCO (1973年) や 109 (1979年) といったファッションビルが次々に登場し、またファッショントレンドだけでなく若い女性のライフスタイル全体を提案し発信するようなファッション誌 (an・an (1970年) non-no (1971年)、少し時代を下って JJ (1975年 (月刊化は1978年) CanCam (1982年) ViVi (1983年)らもすでに出揃っていたことで、女子大生から20代女性のファッションが大きく変化し、また分化するタイミングでもありました。
ちなみに おたくに近いところで単にギャル名称つながりでは、雑誌 「映画の友」 の増刊にアダルトアニメを扱った 「ギャルズアニメ オールカタログ」 という雑誌というかムックが出たりもしました (1985年)。 当時話題となった 「くりいむレモン」 なんかが紹介されていて、もう女の子=ギャルみたいな感じになってましたね。
コギャル・マゴギャル、派生語も様々、そして飯島愛さん登場
ギャルという言葉がことさら強調されて定着したのには、深夜帯のテレビ番組などで 素人 かそれに近いポジションの女子大生が初々しいと持てはやされたことにあります。 当時の感覚ではひと昔前の言葉 「翔んでる女」「イケイケ」 の言い換えのようなニュアンスを持っていました。 あくまで感覚的なものであり定義はあってないようなものですが、年齢区分以外では、古臭い価値観に無関心で自由奔放、気まぐれで小悪魔的、ファッションやライフスタイルにこだわり仲間や友人を大切にするといった感じでしょうか。 とりわけファッションやスタイルはギャルを考える上で外せないもので、それぞれに強い類似性があります。
その後テレビ局主体で年齢層の拡張や細分化が行われ、女子高校生をコギャル (大学生より小さいから)、そこから派生して女子中学生をマゴギャルなどと呼ぶようになります (一部では年増の言い換えの熟女から転じて熟ギャルとかも)。 その後はむしろ大学生主体のギャルよりコギャルの方に人気や注目が集まるようになりますが、ギャルファッションの細分化やそれに伴う過激化が一般人の理解をはるかに超える レベル になったこと、流行り過ぎた結果の陳腐化などもあって2000年を過ぎたあたりから少しずつ縮小します。 コギャル・マゴギャルといった言葉も淘汰され、現在はギャルの 雰囲気 を持つファッションやメイクをした若い女性全般を指す言葉として再定着しているようです。
派生語としては 日焼け で 肌色 が 褐色・真っ黒になったギャルを黒ギャルやガングロ、さらに黒くてほとんどどこかの民族風のメイクやファッションにまでエスカレートしたものをヤマンバ、特徴的なメイクや髪型、ネイルなどを崩したくない (再度同じ状態にするにめちゃくちゃ時間がかかる) がためにお風呂などにあまり入らない人を汚ギャル、これらとは一線を画してむしろ旧来のコンサバ (保守的) な女性雑誌である 「JJ」 などに代表されるトレンドも多少入っている白ギャル、キャバ嬢など夜職の影響が入った姫ギャル (小悪魔 ageha 系) などがあります。
こうした流行は後述する安室奈美恵さんブームによる 「アムラー」 の登場や、「女子高生のカリスマ」 浜崎あゆみさんのあゆブームによって洗練され形作られますが、それらとは全く異なる (ただし後には合流した) 特筆すべき存在が先んじてありました。 それは1992年2月からテレビ東京系の深夜番組 「ギルガメッシュないと」 レギュラーとして大人気になったAV女優 (セクシー女優) 飯島愛さんです。
当初はおしとやか、清楚なお嬢様路線での売り出し方もあったものの、すぐに 「今風の女の子」 路線へ。 ことおたくな男性の茶髪やギャルの好ましいイメージ醸成に大きく貢献した存在であり、スカート をめくってTバック下着を見せるお色気演出から 「Tバックの女王」 とも呼ばれ、一世を風靡します。 おたく人気を受けてか関東地域で深夜帯に流れた 「まんがの森」 のテレビCMにもセーラームーン風衣装と ツインテール (ただし 黒髪) で起用されていました。 ファッションや全体の雰囲気はギャルというよりは ボディコン 風でしたが、おたくに優しいギャルの明確な原型のひとつが、この飯島愛さんでしょう。
「アムラー」 の登場とギャル雑誌の人気によりギャル文化が確立
この時代にギャルブームに先立ってその下地の一部を作った存在として、俗にW浅野と呼ばれた浅野ゆう子さん・浅野温子さんらのファッションや、出演したテレビドラマ 「抱きしめたい!」(1988年) などで提示された都会的でおしゃれ (バブリー) な生活スタイルがあります。 その少し後には、カリスマ美容師ブームも生じます。 また象徴的なファッションに、欧米の流行を取り入れる形で身体を強く意識したボディコンシャスという考え方と、それに基づく伸縮性のある生地で身体のラインがよく出るデザインのボディコン服も広がっていました。 このあたりはバブル景気やトレンディ路線のイメージが強いものでした。 髪のスタイルは ワンレン が流行っています。
その後女性のファッションはバブル景気崩壊による経済悪化によりハイブランドの忌避が生じる中、ジャージ などのスポーツウェアを街中で着こなすストリート系ファッションが流行ったり、低年齢化や地域による細分化 (渋谷系とか、後に文化的に大きなブームとなった原宿系とか、さらにパルコ系とか109系といった 建物・箱 による分類)、ブランドやそれを掲載するファション雑誌ごとに細分化を生じます。
そして1995年前後から人気歌手 安室奈美恵さんのスタイルをお手本としたファッションの大流行が始まります。 この流行の担い手を雑誌 「Petit Seven」 は 「安室奈美恵風ファッション」 の略称として通称 「アムラー」 と命名。 現在まで続くギャルの基本形がここに完成したといって良いでしょう。
アムラーの代表的なスタイルといえば厚底ブーツにマイクロミニ、茶髪の ロングヘア、日焼け、細眉、小顔といったもので、1995年から翌1996年かけて大ブームとなり、渋谷109 に入っていたファッションブランドの人気とともに、ギャルスタイルの確立に決定的な影響を与えます (この他、そこら中に店があって安価でメイク用品が購入できるドラッグストアがまったく同じ時期に台頭 (マツキヨとか) した影響も非常に大きかったと個人的に思います)。
またこれらと極めて近いテイストを持つファッション誌も同時期あるいはやや遅れて次々に創刊し (egg (1995年) ランキング大好き/ Ranzuki (1998年) S Cawaii! (2000年) や、後の 小悪魔 ageha (2005年)、それぞれが微妙に異なるテイストを持ちながら支持者を増やし、離合集散・栄枯盛衰を繰り返しながら複雑化。 とくに雑誌は、読者をモデルに起用するいわゆる読モ (読者モデル) が等身大のお手本として前面に押し出され、ギャル文化を強力に推進する存在となります。
その中でも最先端というよりは奇抜なギャルファッションはテレビや大手メディアなども盛んに取り上げ、先鋭化しながら独特の地位を獲得。 ド派手なヘアアクセサリ (とくに大きな飾りのついた ヘアピン) などは同じ頃に篠原ともえさんから生じたシノラーブームの影響もかなりあるのでしょうが、1990年代後半には、現在の 一般人 が何となく思い描く 「ギャル」 の パターン が完成されることとなりました。
「女子高生のカリスマ」 浜崎あゆみさんのあゆブームと白ギャル
1990年代末から2000年代頭にかけて、もう一つ大きなムーブメントがありました。 歌手 浜崎あゆみさんの大ヒットの連発と、それに伴う AYU ブームです。 影響を受けた女の子はあゆギャルなどと呼ばれ、こちらは金髪人気や白ギャルカテゴリを確立した存在となっています。 時代の寵児となったあゆみさんは 「女子高生のカリスマ」 と呼ばれ、豹柄や極端なゴージャスさ、ネイルアートのさらなる進化など、あゆ前と後とではっきりと若い女性のファッションを区別することができるほどの影響を与えています。
2000年代中頃には、歌手の倖田來未さんの影響も大きくなります。 日本に先立ちアメリカでデビューした倖田さんはテレビ出演などを控えていたためマニアックな存在でしたが、2004年5月の 11枚目のシングル 「LOVE & HONEY」 がヒット。 同シングルは映画 「キューティーハニー」 実写版の主題歌のカバー曲も収録され、テレビ番組などでも積極的に披露。 エロ くてかっこいいと一般での認知が大きく高まり、ギャル文化の一翼を担う存在となります。
どんな文化もそうですが、すそ野が広がりブームとなり成熟していく中で、系統が複雑に別れ、それぞれがさらに細分化されエスカレートしていく傾向があるものです。 ギャル系については、担い手が10代から20歳前後を中心とした若い女性だったこともあり、1970年代からの女性ファッションの大きな流れと、ヤンキー文化やサーファー文化、ミニスカートの巻き上げや落とし履き、ルーズソックスといった制服の着崩し文化、バブル期の豪華さ、ボディコンなどに代表される女性性の強調と 「かわいさ」 を前面に打ち出した流れの中で、そのエッセンスを集大成させ進化させたともいえる、ほとんど前衛的なものになっていきました。
「カワイイ」「明るい」「楽しい」「仲間」「恋愛」「活動的」「ダンス」「都市とリゾート」「夜」「夏や海」 といったキーワードで見ることができるギャルたちのファッションや価値観は、突飛で独創的でありながら仲間との連帯を強く感じさせる共通性もあり、またテレビや雑誌といったメディアからも継続的に注目を集め続けます。 元々メディア関係では、大手メディア主導の女子高生ブーム (1985年頃あたりから) や美少女ブーム、雑誌主体で ロリ や清楚系が中心の お菓子系 ブーム (1990年代はじめあたりから) の流れもあり、相互作用で盛り上がっていったのですね。
「AYU ブーム」 と 「エビちゃんブーム」
こうした動きは大手メディアや女性のファッション分野においては、ファッションモデルの蛯原友里さん (エビちゃん) のゆるふわな 巻き毛 (エビちゃん巻き) と優しくオシャレでフェミニンな装いの流行 (エビちゃんブーム) によっていったん終息します。
盛り上がった大きなきっかけのひとつは2006年に放映された日焼け止めブランド、資生堂アネッサのCM出演ですが、時期的には2000年代後半から2010年代前半あたりにかけ、広範な影響を女性ファッション全体に与えることになりました。 このブームは AYU ブームなどともある程度つながっており、夜の職業につく女性からも広く支持を受けるものでした。
ちなみに蛯原さんが雑誌で着た服や出演したテレビCMの商品がバカ売れする 「エビ売れ」 といった流行語も同時期に生じています。 蛯原さんの奇抜過ぎない髪型や 髪色、ファッション、優しく女性らしい雰囲気が、世の多くの男性からも支持されていたのが大きな理由でしょう。 女性のファッション誌は雑誌名のフォントの 色 が赤いことから俗に赤文字系雑誌などと呼ばれますが、この頃から蛯原さんを起用した 「CanCam」 が赤文字雑誌の代表みたいなイメージになってきています。
「おたくに優しいギャル」 っていいよね…
いわゆるおたくの世界とはもっとも縁遠く対極の存在であるかのような扱いをされるのがギャルです。 そのためか、ギャップ狙いでおたくとギャルの組み合わせが提唱されネタとして消費されがちな状況があります。 前述した飯島愛さんの存在もさることながら、とくに 自虐的 な男性が、「こんな俺にも優しくしてくれた」「好きになってもいいよね?」 みたいなネタとして ネット の 掲示板 などで触れるようになり、そこから派生した部分もあります。
しかしネタを超える親和性が高い傾向もあります。 ギャルたちは仲間や人との関係を大切にすることから際立って高いコミュニケーション能力を持つものが多い傾向もあり、また楽しい・明るいといった他者から好意的に受け取られやすい 属性 もあることから、何らかの接点 (例えばコンビニの店員がギャルだったといった些細なもの) があったときに、親近感を覚えられやすいとの話はよく聞くところです。
とりわけ女性と接点がない 非モテ な男性おたくにとって、ギャルのコンビニ店員が自分に対して優しく微笑んでくれる、おつり銭をこちらの手を包むように渡してくれるといった行為は、その近づきがたいファッションやメイクなどの見た目のギャップからも心を揺り動かされやすく、「ギャルが好きだ」 と公言するおたくがわりといるものです。
これは2000年頃からかなりはっきりその傾向が見て取れるようになりますが、黒髪清楚系の 地味 でややもすれば ぶりっ子 な女の子が好きなイメージがあるおたくが、茶髪や金髪で派手なイメージのあるギャルを好む意外性もあり、半ば大げさに語られすぎているきらいはあります。 実際は茶髪は出始めの頃はうんこ色とかうんこ髪とか罵倒されがちでしたし、金髪に至ってはヤンキー・DQN 扱いの方が多かったでしょう。 むしろ2000年代中頃を過ぎたあたりからおたくに対する偏見がかなり薄れ、それまではおたくと距離を置いていたギャルがおたく的な 趣味 を公言したり、ギャルが好きになる男性がおたくを自称し始めたからという側面もあるでしょう。
おたくの世界でのギャル人気はむしろ2000年代後半あたりからが本番なのですが、おたくの思い描くギャルの造形が1995年あたりから2000年あたりの形で固定されている、別の言い方をすると昔のギャルのままだとはよく聞く話です。 その時代にギャルに憧れた世代が2000年代以降におたくの中心的な役割を担っているだけという感じもしますが、この時代にギャル、それもあまり異性と接点のない男性にとって理想とするギャルの姿が完成した部分はあるので、知識や認識が古いままと云うよりは、わかりやすくて理想的でもある時代のそれを再生産しているだけという気はします。 いつまで経っても旧型の スク水 や ブルマ、セーラー服 といった類型化されたファッションが、おたく文化で珍重され続けているのと同じ理屈です。
で、実際の 「おたくに優しいギャル」 はどうなの?
筆者 は 治安 の悪い地域や時代に生まれ育ったこともあり、若い頃は不良少女やヤンキー少女などは身の回りにそれなりにいて、それらには多少感覚を掴めるところはありますが、比較的近い属性であるとはいえ、ギャルは世代が違いすぎてあまり詳しくありません。 とはいえ、1980年代末から1990年代中頃かけて若者向け雑誌の企画などをしばらく行っていて、関わっていたのはファッション誌ではありませんでしたが、ギャルの走りや元ヤンキーみたいな個性を持つ初期の マイナー な読モの女の子とは、当時それなりに接点がありました。
前後して女性の一部の文化がヤンキーからギャルに切り替わるくらいのタイミングだったため、元ヤンキーは 「ギャルみたいな服装は無理」「今さらミニスカにルーソなんてはけない」 と苦笑いしたり、それでも当時の流行りなのでモデル撮影で身に着けて貰ったりして、この時期のファッションや若い女性の価値観の変化は、外部から見ていても、恐らくは本人たちも、戸惑うほど急速なものだった印象が強いですね。
ちなみにその後、本業不振による生活苦から大勢のギャルばかりが勤務する都内のアパレル倉庫管理のアルバイトを半年ちょっと程度の短い間でしたがやっていたこともあります。 ピッキング作業の現場責任者として数十人のギャルっぽい女性と週3から週5で一日中仕事をしていましたが、筆者の出会った範囲に限って云えば、ギャルは時間にルーズだったりいい加減なところがありすぎつつも、対面しての人間関係に関しては好ましいコミュニケーション能力の持ち主が多かったです。
この辺は 普通 の人たちとはちょっと外れた生き方をする人に特有の、複雑な家庭環境や荒れがちな友人関係の中で、「他人の顔色を伺う」 ような傾向も見て取れますが、不満があればわりとズケズケ云ってきてくれて陰湿さはあまりないし、立てるところではこちらをちゃんと立ててくれて、とてもありがたかった記憶があります。 まぁあたしの目の届かない範囲で女同士で色々あったのはあったし、多勢の女性の中に少数あるいは1人だけ男って状況だとだいたいは空気扱いされるものなので、あくまで年上男性が比較的近い場から見た印象の範囲に留まりますけれど。
とくにバイトのギャルの中でも一目置かれるような存在の女の子は人のあしらい方に長け 地頭 も良く、口や態度には一切出しませんでしたが、自分が10歳若くてこんな女の子とつき合ったら毎日がどれだけ楽しいかと思ったりもしたものです。 まあ同世代で仮に同じ学校のクラスにいたとしても、スクールカースト の序列が違いすぎて口を交わすことはなかっただろうなと云う気はしますが。
10代後半から20代前半女性数十人に男性数人、現場でずっと一緒にいるのはアラサーでおたくな筆者だけみたいな状態だったので正直当時は精神的ストレスがすごかったです (個人的なやり取りはなかったので何一つロマンスもなかったです…)。 おたくだと云うのを隠してなかったので、休みの日にギャル3人くらいに頼まれて アキバ を案内したことはあります。 次は コミケ だねとかいってる間にバイトを辞めてしまいましたが、バイト中に 支えてくれた のはギャルが多かったですし、倉庫の片隅で休憩時間に語っていた夢を実現して、みんな幸せになっていてくれてたらいいな…などとふと思い返したりはします。
ちなみに筆者は おたくでありながら、当時人気だったお菓子系との直接的な接点もあまりなく (同業者の友人がいたり雑誌などはかなり集めていましたし、イベント にも少しだけ参加していましたが)、ギャル文化のストリート関係やイベント関係での接点も少なく、このあたりも仕事でもっと押さえていれば同年代の女性文化についてもう少し立体的で 解像度 の高い話ができただろうにと、ちょっと悔やむところではあります。 この頃は パソ通 の集まりが発端の 同人サークル での活動が楽しくて、周囲にはおたく女子や 腐女子、コスプレイヤー や ネトア はかなりいたんですが。
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