現在の漫画同人誌のルーツは、大学などの漫画研究会の会報
「同人誌」 とは同好の士と趣味で作った雑誌・本のことです。 恐らくこの言葉の意味に一番近いのは、小・中学生の頃にマンガ好きな人なら一度はやった(?)、「クラス内回覧の肉筆ノートマンガ」「肉筆回覧誌」 なのかも知れません。 現在では、マンガや小説の同人誌に限っては、「即売会で頒布する為に自費で作った本」 のことを指すと云っても良いでしょう。
なお 「同人」 とは同じ志や趣味、興味の傾向を持つ人たちが集い活動すること、およびその集まり、あるいは場所のことですが、「同人誌」 はそこで作られた回覧誌、会報であり、本来はその同人 (「同人サークル」) 内で互いの研究結果を発表しあうような体裁をとっていました。 それが対外的に売り出す形に大きく変化したのは、同人誌をその場でやりとりすることを目的としたイベント、「同人誌即売会」 の誕生と発展が大きいようです。
肉筆回覧誌は、やっぱり今でも根強くあるようですね
現在の 「同人誌」 の直接のルーツは、大学漫研が既存の漫画やアニメを批評したり、それらをモチーフにちょっとしたお遊び漫画 (初歩的な創作系) を描き、サークル仲間と原稿を寄せ合って一冊の同人誌を作るような活動がメインだった頃のものです。
この場合の同人誌は、対外的に広く頒布するようなものではなく、仲間うち、サークル内部のみで閲覧、回覧する会報のようなものでした。 印刷どころかコピー (青焼き) すらせず、肉筆で大学ノートに描かれたようなものがかなり多かったようです。 やがてそれらの会報、同人誌のうちいくつかは、大学漫研の交流会のようなもので評判を呼ぶようになり、とりわけ絵が上手い人に注目があつまります。
コミックマーケットの誕生により、会報からアマチュアマンガ雑誌の様相に
「コミケ」 は漫画批評を行っていた同人サークル 「迷宮」 の主催により、1975年12月21日に第一回が開催されましたが、当初はこうした会報、ミニコミ誌のような同人誌の展示 (頒布ではなく、回覧) がメインでした。 当時は参加者の数もそれほど多くなく、それぞれの同人誌は頒布用のものも部数が少なかったようです。
またコミケ発祥の母体のひとつである日本SF大会や、コミケと何かと因縁のある日本漫画大会のように泊りがけの合宿もあり、もっぱら同好の士との交流がメインとなっていたようです。 「パソコン通信」 もネットもない時代、年に1度か2度くらいは、学校が休みの盆暮れに集まろうよと云うわけです。 一般参加 (一般入場) もこの時からありましたが、当時の参加者のコメントによると、多くが中学生や高校生などの少女マンガファンの女の子であったそうです。
大学のマンガ研究会にいる人なら、それなりに横のつながりはあるものですが (それでも全国規模のものとなると、当時はほとんどありませんでしたが)、中学生や高校生のマンガファンでは、肉筆回覧誌を好きな時に見ることはできません。 当初は同人誌 (会報) も本の形をとっているようなものはあまり多くなく、1枚もしくは数枚の紙にコピーや印刷したものを折り曲げただけの会報が多かったのですが、中高生の一般参加者から 「実費を払うので1部 (1冊) 譲ってください」 という需要がとても多かったようです。
このような経緯もあり、コミケは回を重ねるごとに回覧・閲覧から配布・頒布を伴うようになり、「同人誌即売会」 としての性格を強く持つようになります。 サークルが発表する同人作品 (会報や同人誌) も、批評や情報を取り纏めた会報から、マンガをメインとしたミニコミック、アマチュアマンガ雑誌のような外部への露出を強く意識した体裁をとるようになってゆきました。
宇宙戦艦ヤマトによる、アニメ大ブームと 「おたく」 誕生を経て
1974年に放映されたアニメ 「宇宙戦艦ヤマト」 の大ブーム (再放送から映画化にかけ、空前のアニメブーム、声優ブームが発生) により、状況は一変しました。 それまでは批評の 「挿絵」「ツマ」 のような創作系が急速に注目を集め、大学漫研から飛び出したアマチュア漫画家などが、次々に意欲的な 「漫画メイン」 (といっても、現在の同人誌に比べるとずっと同好会の会報っぽい内容ですが) の同人誌が登場するようになりました。
初期のコミケは、「新しい才能の発掘」 をテーマにしていたこともありましたし (それは現在も変わりませんが)、実際にコミケでマンガデビューした後に商業誌で大活躍する作家も多数現れるのですが、ともあれ、マンガファンや読者にとって、痒いところに手が届くような、書き手と読み手の距離がほとんどない新しいマンガ文化の発祥の場としての地位が、急速に形成されていった時期になりました。
ただし元々が、既存作品の批評やファン活動の延長線上にあったため、元ネタのある二次創作がメインになったのは、当然の成り行きかも知れません。 オリジナル作品は初期から現在までコミケの重要なカテゴリですが、もっとも数が多くもっとも注目されるのがアニメや既存マンガの二次創作であるのは、この時代から変わりません。
専門誌も家庭用ビデオもほとんどない時代に
同人誌は貴重な情報と娯楽を提供してくれていました
当時は 「おたく3種の神器」 とも呼ばれる 「ビデオ」 はまだありませんでしたし、ヤマト以前には本格的なアニメ雑誌もありませんでした。 まさにアニメや漫画の最新情報を得ようと思ったら、こうしたアマチュアによる同人誌に頼るしかない時代だったんですね。 ヤマトを発端としたアニメブームは、そのまま 「機動戦士ガンダム」 に受け継がれ、また全体の裾野が広がったことにより、既存の少女漫画ファンや美少女系に注目したコミックやアニメのファンにも創作系の波が押し寄せることになります。
なお 「おたく」 なる言葉が生まれたのが 1983年、「コスプレ」 なる言葉を生み、一般にもそれを広く喧伝した 「うる星やつら」 のアニメ放映開始が 1981年です。 まさに現在の同人やそれに纏わる文化、否定的な面を含め、それらが一気に開花したのが 80年代でした。 個人的にはこの頃に、それまでの研究・批評系 (あるいはファンレターの延長線上にあるファンジン) より二次創作などの創作系がはっきりと目に見える形で勢力図が逆転するだけでなく、概念としてほぼ完全に分離したような印象があります。
やおいとエロ、同人サークルと同人誌は本格的に創作系が中心の活動に
こうして同人サークルは、趣味や好みを同じくする仲間との語らいの場と云うよりは、対外的に何かを発表するためのグループ、「サークル」 というよりは 「プロジェクトチーム」 のような感じになって来てますね。 途中で 「やおい」 などのエロを扱うに及び、「いかにたくさんの同人誌を頒布したか」「どのサークルが今一番人気があるのか」 なんて商業出版に対する興味と同じような興味を、同人サークルにも見るようになっています。 間に 「同人バブル」 とも呼べる 90年代のコミケ・同人世界の膨張期もあり、こうした傾向はますます顕著化している感じがします。
二次創作の場合、もちろん原点には元ネタとなった作品への愛がありますが、大手になるほど 「よろず化」 が激しく、何かの作品を研究したり自分が好きであるのを表明するのではなく、「自分の表現したいものを見てくれ」 のような形にシフトしていますね。 もちろんこういうジャンルは、「オリジナル創作」 として、コミケ初期の段階から存在はしていましたが、それが二次創作の分野でも顕著になっているのが、ここしばらくの同人界の大きな動きな流れのような感じがします。
同人誌作りに必要なものは、とにかく時間が全てです
同人用語辞典を見るような方でしたら自分でマンガを描いたり、マンガまではいかなくとも、ちょっとしたイラストは描いたことがある方が多いと思いますので、こんな話は釈迦に説法でしょう
![]() うちのしょぼい同人誌 |
表紙のカラーイラストなど、こだわったらいつまで経っても完成しないでしょう。 原稿が完成しても、コピー誌なら発行部数に応じてコピーをし、それらをまとめてホッチキスでとめるなど製本作業もしなくてはなりませんし、オフセット本なら、印刷会社とあれこれやり取りしなければなりません。 通販をしているサークルなら、その手続きも面倒です。
筆者はだらしない性格で、いつも締め切りに遅れたりギリギリの進行となっていました
それでも描かずにはいられない。 新刊を出さずにはいられない同人作家さんには、本当に頭の下がる思いです。 個人的には同人誌作りは趣味の範囲でやるべきで、大手サークルなど、売り上げ重視の半分商売みたいな活動をしているところを快く見ない雰囲気も自分だけでなく同人界全体にありますが、これだけの労力を、ハズレたら大損のリスクを背負ってやってるのなら、まぁそれもアリかな…なんて思ったりもします。
マンガには、読むだけでなく、描く楽しみがあります
楽しいけど辛い、辛いけど描かずにはいられない。 そういう人が無数にいて、そういう人が描いたものを、無茶苦茶な混雑をものともせず遠路はるばる買い求めにくる人が大勢いる。 目的や意識は人それぞれなんでしょうが、こういうすごい世界が外部からの批判に時として激しく晒されながらも発展継続して存在するってのは、ある意味ひとつの奇跡じゃないでしょうかね。
健全な批判はレベルアップになくてはならないものですが、温かい目で、同人誌や同人界、そこに集う人間や取り巻く状況を、見て行きたいものですね。

